第1章 伝説の辰国と月氏
第1章 伝説の辰国と月氏
ところで、この「三韓は元は辰国という国を構成して
いた民族が南下して建てた都市国家群だ」という伝説
を裏付けるような不思議な統治形態が見られた。
馬韓の構成国に月支国という特別な国があり、この
月支王は、馬韓の有力な国首達が協議して選定される
のだと言うのだ。(あたかも神聖ローマの選帝侯の様な
仕組である。)しかも、この選ばれた月支王は、馬韓の
一国でありながら辰韓全体の王家として、辰韓諸国
の首長たちの上位の身分を有するというのである。
これは、伝説上の辰国の王家が月支王であり、馬韓の
首長達はその王を共戴する(大和の大臣の様な)大貴族
であって、辰韓の首長達は月支王の臣下層という関係
になるのだろうか?
では、このような奇妙な関係は、一体何に由来する
のだろうか?
これに対して早くから一つの解答を出していたのが、
歴史学者の江上波夫氏であった。これが、かの有名な
"騎馬民族渡来説"である。
この月支王の一族が弁韓に建てた分国が天孫族の起源
だといい、かつ月支族はかつて西域にあった月氏族の
一部が、中国本土及び北辺地域の動乱から逃れて中部
朝鮮に渡来し集住した。これが伝説の辰国であると。
しかしその後秦末漢初の動乱と、漢の衛氏朝鮮征服で
南に移り分散して先住民と混在した状態が三韓だろう
としたのである。そして元来の月氏国は西域にあった
騎馬民族国家なので、月支王族も加羅の諸国家の支配
層もまた騎馬民族としての性格を持ち、それが我が国
への渡来でも引き継がれた、というのがその騎馬民族
渡来説の趣旨である。
しかしその後、この騎馬民族渡来説には多くの学者に
より否定的な見解が出されている。その中心的な論
は、馬具など騎馬に必須な用具や装飾具は我が国の
古墳や遺跡からも出土するものの、それは馬を利用
していたという程度で、後世の奈良朝以降ほどは
騎馬戦が想像される様な用具が見つかっていない。
漢人も騎馬を用いたが、騎馬民族とは言わない。
騎馬民族とは匈奴や突厥或いは後世の蒙古の如く、
騎馬軍を中心とした戦法を用いた民族の事だが、
日本には騎馬の将はいたかも知れないが、多くは
歩兵と弓兵だったと考えられて来た。我が国では
いわゆる源平闘争の頃からは騎馬兵の起用が戦役
の帰趨にかかわるようになったという。
しかし、古代は中世以降とは地勢的な事情が
異なっていた。というのは、もし騎馬民族が我が
国に渡来していたとしても、我が国の古代は、
アジア大陸と違って騎馬戦に向く平原が無い。
沿岸地方は葦の群生した潟湖や沼が多く、騎馬
の障害になる地方が多かった。
事実古墳内からの出土物や、記紀に載る古代の
習俗にも"騎馬民族"を彷彿とさせるイメージは
比較的薄いのである。
そして江上氏らが唱えた月氏国に由来するとの説で
あるが、そも月氏国自体必ずしも騎馬民族とは言え
ないのである。遊牧民ではあったと考えられている。