第10章 天孫族と葱韮族
第10章 天孫族と葱韮族
ところで、更に「天孫族」という呼称についても考察して
みたい。この用語法は一体いつ頃から用いられたのだろうか?
勿論、筑紫に降臨した邇邇芸が天照の孫神だからの命名であり
元は「天孫・邇邇芸尊」と言っており、それに率いられた
天津神の集団だから天孫族と言われるようになったのである。
しかし、実在性は不確かな天忍穂耳という邇邇芸の父神を架上
してまで、「天孫」に拘っているのは何故なのか?
私は、天孫とは訓で読めばアママゴであり、天津神のマギと
いうニュアンスを含んでいるからではないか?と疑うので
ある。マギも元はマグだから訛ってマゴとなったのか?
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◇マギについて
さてそこで、改めて“マギ”について考察を加える。
古代中央アジアのメディア王国での祭祀を司る、いわゆる
神官層をマグと言ったという。
古代イラン語のマグmaguが,ギリシア語に借用され
(マゴイmagoi)となり,さらにラテン語化されたものが
magi(複数形)で、単数形はマグスmagusだとされる。
ペルシャ語では、マギは“マガ・ブラーフマナ”と呼ばれたと
される。この“ブラーフマナ”がインドでいう“ブラーフマン”
(聖職階級)即ち我が国でいう婆羅門である。
古代アーリア人の中ではやはりマグなのだろうか?
私はこれはmanigu で、中のni が黙音化してマグになった
と考えるのだ。manigu-misra は太陽神ミスラを祀る事。
maniguは、日本語のマネグで、折口信夫流に言えば、
「神を招き寄せる」というシャーマン的な行為になる。
(インドの摩尼の名前の由来もここに習合したものだろう。)
このマギは西方世界に伝来して、メシヤ=キリスト降誕に
訪れる東方三賢人(三博士)の伝説を生んだ。
マニグが祭祀に際して、結ぶ印相がニギである。仏教でいう
未開蓮合掌印は、蓮の蕾の様であるとされるが、密教的には
合掌の中に宝珠などを包み込んでいる印相(インゾウ)である。
(この手の形から、握られた米の飯がお握りになる。
握って作るからおにぎりではなく、ニギの形に作る事こそが
握るという言葉の由来である。)
そして葱華の形状もまたニギで、マギが着用していた帽子の
色形が葱華に見えたことから、これもニギとみなされた。
葱(漢音ソウ)という香草をニギ→ネギと呼んだと考えられる。
印相のニギは漢字で表現する時は和(龢)の字を用いる。
和合とは両掌を合わせ結びニギの状態・未開蓮合掌印を造る
事をいう。
また我が国でいうニギタマ(和魂)は、アラタマ(荒魂)の
対だが、マニギによって掌握された神が和魂で、掌握できぬ
のがアハリマンユ(悪魔)の成分を含む“アラ魂”になる。
ニギタマの象徴がチンタマーニ(宝珠)である。
(ニギタマの形状をした根茎を有する葱が“玉葱”。)
荒魂はしばしば風神になるが、これは古代中央アジアの信仰
圏に於いて、風の神ヴァーユが善悪二つの性格を持つ事に
由来する。伊勢神宮の風日祈宮は大神(もしくは天御柱神)の
荒魂だという。
ところで、古代アーリア人の聖職者は、祭祀の時に、香草で
あるハオマを用いたと言うが、今ではこのハオマは何という
植物なのか?草本か木本か?も分かっていない。
(一般に、古代の神聖植物をバルソムと呼ぶ。)
現代の南インドに少数残っているゾロアスター教徒は羊歯の
葉を用いているという。だが古代には、祭祀の際にハオマを
すり潰して樹液にして用いたり、それを聖職者が飲んだりした
というので、シダ類とは思えない。(有力なのは「大麻」説と
麻黄説。麻黄も麻酔作用のあるエフェドリンが含まれる。)
しかし祭祀に香草を用いる儀礼は、仏教でも菊の葉を僧侶が
使って閼伽(水)を散らしたりするし、神道では榊サカキや
樒シキミ、真樹(真裂=マサキ・定家葛)などを使った。これら
は我が国では手草と呼ばれた。
これらは古代中央アジアの習俗に由来すると思われる。
いずれにせよ、ニギ=和は古代中央アジアに由来の観念では
ないか? 和は漢音でhua だが、khuaとの発音もあるようだ。
チンギス-ハーンの干がカーンと発音もされるのと同様。
漢書によれば、大月氏国の別称を和kha と言ったという。
ニギの国という事であろうか?そうなら、月氏は漢字「和」
をニギ(龢)と認識していた可能性が否定できない。
もし小月氏の一部・葱韮族の末裔が天孫族なら、ニギ族で
あり、和族と表記される可能性があるのだ。
「ニギ族の国だから和国」なのだと!
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◇ 葱韮族とは何か?和とは?
このテーマで更に考究を重ねてみたい。ここまでは、
「ネギ→ニギ→和であるので、“和国とはネギ族の国”という
意味だろう、そしてそれは古代タリム盆地付近に居た月氏
の中心部族葱韮・マギだろう」という推理をしてきたわけで
ある。
ここに来て、これが再認識される話に幾つか出会った。
“月支とは肉食の民であるので、肉支なのだが、肉は漢字の
月の別文字(同形異義)なので、月支と書かれ月氏ともなった”
という説がある事は、以前言及した通りである。
でこの「支」というのは何かというと、遊牧民族の部族を
表すkeであり、モンゴル族では旗と書いてキと称するのが
それだというのだ。そういえば、現在でも内蒙古西部の
オルドス高原にはウーシン旗という部族が住み、またその
居住域もウーシン旗と表示されているのである。
月氏の中心部族群が匈奴に追われてキルギスのイリ地方に
逃れ、そこで建てた国が、中国側から見ての大月氏国なのだ
が、この大月氏国は即ち大肉旗国であり、それが今の大食国、
即ちタージ旗国=タジキスタンの元になったという説もある。
そしてこの大月氏国には、前漢の武帝の頃、有名な外交官僚の
張騫が遠路はるばる西域に行き「漢と挟み撃ちで匈奴を叩く」
提案をしたわけである。その時、大月氏国は、「現在の天山の
北方の地域(イシクク湖沿岸)の方が、故地のタリム盆地より
過ごしやすいので、今更匈奴との戦争はしたくない」と拒絶
してしまったのだ。この時張騫を引見した大月氏国の王は、
女王だったという事が漢書に出ている。月氏のネギ族は
女王が統治する習慣があった事にも前に言及した。
そして、漢書や後漢書などの中国側の史書では、大月氏国は
“禺”もしくは“和”と自称していた!と言うのである。
「禺」は、それ自体では広東省方面の小数民族の名でもある
が、月氏が自称していた禺というのは、恐らく月(肉)の現地音
ではないか?と思われるのだ。禺は無論漢音ではgu である。
月氏は「自分達はgu だ」と言ったのではなく、“n(e)gu”と
言ったのではないか。そのne が黙音化していたので、聞く側
には、gu だけが認識されたのだと想定されるのだ。
一方、negui→negu →nigu →肉で、ニグ(肉)旗→月支という
呼称も発生したのだと考えられるというのは既述の通りだ。
つまり、月支とは初めからネギ旗、つまりネギ族の事だった
のではなかったかと、とりあえず考えてみた。
では、他方、中国の史書で、「大月氏国は禺もしくは和と
自称していた」という「和」の方は何なのだろうか?
和はkhua(歌:果:戈→カ)と読むのだと注釈が入っている。
これは、中国音の和hua は、モンゴル〜西域地方の語では
khuaに当たるという事で、チンギスハンがチンギスカンと
いう例が有名である。(ハン流=韓流というのも。)
このkhuaと禺では全く共通性が無いように見える。
しかし、禺は表音であって、和は表意だと私は考えた。
和にはニギとかナギとかの訓がある。このニギは握りの
ニギと同根で、神前で合掌する手の形がニギ(つまりネギ=
葱宝珠形、司祭であるマギの合掌、仏教でいう未開蓮華印と
いう印相=蓮の花の蕾の形)だと云う事であるわけだ。
また同時にマギの帽子もまた葱宝珠=ニギなのである。
和という漢字自体が、その成立の由来として、古字では、
「禾+口+口+口+禾」という禾の間に小さな口を三つ書いた
形だという。これが、禴という文字の、“示す偏”を禾偏に
変えた文字や、龢という文字(禾がツクリの方に付いている)
になり、それが龠の部分が口と簡略化されたのが和なのだ。
和には禾偏の和と異形で口禾(味の未が禾である文字)もある
のだ。
それでこの龠とは何かというと、ヤクと読み、孔の三つ開いた
笛の事なのである。(これが屋久島の語源の由来だとは既述)
禾が左右どちらに付いても同じなのは、これは元来禾が左右
両方に付いていたからだ。つまり“禾龠禾”という文字である。
この左右にある禾は「両禾」(リョウカ)と言い、王者や神前
の左右に翻る旗を意味しているのだ。
つまり旗の林立する前で、王や神に献げる笛の合奏こそが
龢であり、和の字の原義なのだ。
よく言えばハーモニーだが、実際は服属の儀式なのである。
軍門に降ること、それが和の儀式なのだ。
そこでは牛が供犠とされた。
(だから、これから禺というのは牛=ギュウだという説も生まれ
て来た様である。)
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ちなみに龢は何とナギ!と読む。奈義とか那岐とか言う表現が
わが往古にあった。(神奈義山の奈義である。→後注)
また神前に献げる香木も梛ナギと言われていた。
つまり龢=ナギ、ワ=禾龠=禾口=和なのである。
だから月氏は、自分たちはニギ族だという意味合いで「和」
だと称したのだ。“漢字で書けば「和」旗=和族だ”と言った
のであろう。和旗(ニギキ)→ニグキ→肉旗→肉支→月支と
なり、雅字使用として月氏の表記になったのかとも思われる。
これは大月氏国での話なのだが、分裂したいわゆる小月支の
王族もまた、自分たちは和旗(和族)だと認識しており、為に
ニギキが中国人には葱韮族だと思われたのだと考えるのだ。
これは、元来月支の和族がパミール高原即ち葱嶺を故地と
していた事と共鳴する。葱華(ネギボウズ)がマギの外形に
似ている事から、植物ネギは葱と呼ばれていたのであると
考えた事は既に触れた。(我が国で神官を禰宜というのも
同根であろうとも。)
小月氏の一部が、遼から朝鮮半島へ移住し、辰国を建て、
秦の後裔を僭称し、更に南韓の加羅の地から倭国に渡来して
大倭の王権を奪取した時、彼等は自分たちの古称「和」の
文字を用いて「大和」と名乗ったのであろう。
そして大王はヤマトネコと言うのだ。ニギ族の根子である。
また、匈奴に追われて、大月氏は西に、小月氏は東南に
逃れたのだが、匈奴の支配下に残った月支族の一部族が
タリム盆地には、かなり後世まで存在した。
これが唐書などに出てくる「焉耆」(呉音:えんぎ、
漢音:えんき、拼音:Yānqí、別名イエンチー)である。
かつて西域(東トルキスタン)に存在したオアシス都市国家
で、しばしば周辺の都市国家と合従連衡して、漢民族や
モンゴル系・トルコ系諸族との争いや朝貢を繰り返した。
(現在の中華人民共和国 新疆ウイグル自治区 バインゴリン・
モンゴル自治州 焉耆回族自治県に当たる。)
玄奘の『大唐西域記』では阿耆尼国(あぎにこく)と記され
ているそうである。
negui 葱→gueni (耆尼 )/engi 焉耆となる。
しかも焉耆は月氏の残党だと言われているのだ。
こうして考えるに、日本人は、月氏由来の天王族三氏族、
和族・牛族・宇族(天孫族・出雲族・宇佐族)にその配下の
部民(壮丁=スードラ階層)とその家族、及び上層三族の奴婢
(朴奴=チャンダー)が弥生時代以降に渡来してきて、先住の
縄文人や海人と混住し、そこに韓半島の統一動乱から
亡命してきた帰化人が加わって出来た。更に東国の夷人=
エミシ蝦夷を次第に同化して行った---------という風に
形成されたのだと整理できよう。
しかし、藤原朝に名乗った日本は日の本であり、あくまでも
和族の司祭する太陽神の下に暮らす国原だという認識なの
であると思う。
神産巣日=カミムスビとは神結日であり、太陽神ミスラの
ニギタマ(和魂)なのである。
そしてその最高神官は高木大神=高皇産霊(タカマギムスビ)
と最高神女である大日霊貴(オオヒルメムチ)=天照大神の
二柱の神なのだ。
(二ギの音声が入っていないので天照は後世の創作付加か?
と一時は考えたのだが、大日霊貴はオオヒルメギ=雌ネギ
か、或いはオオ蒜女マキなのか?と考えれば、高天原神話
の中で、ほぼ同時に誕生したのかも知れないと、今は考える
ようになっている。)
注)「神奈義山」と書いたが、那岐山などの様に、そのまま
の音の名称もあるのだが、一般には「神奈備山」と言う呼称
の方が多いであろう。
“gui ”(ギ)が“bui ”(ビ)となる事は、しばしば起こる。
馬酔木(マシギ)→アセビだし、葦牙(アシキバ)→アシカビ
(牙とは本来カギバ→キバ、だから葦牙も元はアシカギ)。
なので、神奈義→神奈備という音韻変化に依るものである。
では肝心の“神奈備山とは何か?”
神奈義とは、巫(巫覡)=カンナギで、祈りを捧げるマギ
(神ナギ)の事であろう。巫女を“神和ぎ”とも表記した。
つまり神奈備山とは、そういう祈りの対象になる山、和山
(ニギヤマ):オニギリ形の山容を持っている、いかにも神の
降臨しそうな山の事なのだ。その山では、山頂や中間や麓に
神社が作られて、御神体はその山自体になっている。
時に、我が国では風の止むことを凪と言う。“風が和らぐ”
から和の訓ナギをとって風の凪と言ったのかと思われる。
(風が和らぐから和もナギというのではない。逆である。)
中央アジアの原始ゾロアスター教では、風の神はヴァーユと
いい、これは善悪二つの要素が入っている、即ちヴァーユは
時には善神となり、時には悪魔の様な行為を成すという事に
なっている。我が国の神道で言うところの、ニギタマ和魂
とアラタマ荒魂の二様のあり方である。
風神が和魂である時が凪であり、荒魂の時が嵐になるのだ。
また蓮乗(ハス)の事を我が国でハスというのも、元は“和す”
から来ているのではないか?とも疑っている。
つまり蓮蕾の形が合掌:ニギリの形だからだ。
こちらには仏教の影響があったものと考えられる。蓮華座
は仏の座る台;西洋でいう所のペデスタルである。仏が
蓮華座に坐しているのはニギタマの状態である。もっとも、
仏教では、仏像は立像や忿怒形など様々に変化しているの
で、単純に和と荒の二元には整理出来ないのだが。