第14章 葱茈族は葱芘族か?
第14章 葱茈族は葱芘族か?
先に、パミール高原の中国名である葱嶺は惣(總)嶺で、
“世界の屋根”の中国的な?表現ではないか?とネット上で
発言している人がいたが、それは間違いだ、と私見を述べた。
中国人は同じ音だといっても葱と總ははっきり区別していた
筈だ。何故なら唐代の軍官名に「葱山道行軍大総管」があり、
葱山道は明らかに地名(葱嶺方面)で、大総官の総は“統合の”
という意味だからだ。葱は總ではない!と。
これに関わって、葱茈はやはり書写間違いで總芘だったろう
と言っていた人が居るが、その理由は芘とは庇と同義で、
(日本語の訓ではヒサシ)庇の方は木造建築のヒサシを、芘の
方は草葺屋根の建物のヒサシの意味だが、總芘なら、正しく
世界のヒサシつまり世界の屋根パミールという意味になる筈
だとの指摘をする人がいたのだ。
しかしこれはパミールが世界の屋根と西南アジアの諸民族の
間で呼ばれていたという事にこだわり過ぎた説だと思う。
但し、このやりとりの間に「中国人が葱茈をsoupisと読んで
いた可能性がある」と言っているとの指摘があった。
(これを私はネット検索では見つけられなかったが。)
だが、葱茈族と同じと思われる婼羌族(崑崙山脈南麓高地
から青藏高原に蟠踞していた)が、五胡十六国時代に南遷して
チベットの南東部に建てた国が蘇毗というので、やはり
葱茈ではなく葱芘で、これがそのまま同音の蘇毗になった
のだろうと、その中国人は推理したのではないか?と
思い当たった。それがもし葱芘なら次の様な解釈も出来よう。
芘は前述のようにヒサシだが、この芘にはカゲという訓も
あるのだ。カゲというのは、日差しが遮られている状態で
ある。実は、日本語ではカゲというのは冠で帽子を指す
言葉でもあるのだ。
我が国では御冠と書いて高貴な人の被り物をいい、ミカゲ
と読んだ。
播磨国風土記に於ける甕坂なる地名の考察を引用する。
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「播磨国風土記」(託賀郡甕坂)
『風土記』の世界では,土 着する氏族などが境界を設定する
に際して,頭髪の装身具であった「御冠」ミカゲとか, 或いは
神酒を容れる 「大甕」などを,その境界に埋めたという。
こうした呪術的説話の一例として、丹波と播磨の国境に大甕を
埋めたという 「甕坂」(兵庫県西脇市明楽寺から西南へ加西郡
泉町へ越へる坂、一名二ヶ坂 とも別称する)説話について
紹介する。
「甕坂は、讃岐日子(戦に負けて)逃去ぐる時,建石命(伊和大神
の子)、此の坂に逐ひて(この甕坂まで追いやってきて)
いひしく、
「今より以後は、更、此の界 に入ることを得じ (再びこの境
から内の地に入ってはならない)」
といひて,即ち、御冠を此の坂に置きき」
「御冠」とは、頭髪に冠する装身具の蔓草、またはその加工品
であった。
更 にまた花を緒で連らねた花蔓をも 「御冠」 といって、
呪的霊力あるものといわれていた。
この説話では、御冠が呪術的効果を生かす呪器であり、
その御冠を 「此の坂に置く行為そのものが、まぎれもなく
呪術的行為であったと解される。
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※御冠はミカゲもしくはミカカブリと読む。
甕を被ったという意味合いもあったのか?
この事を考えるなら、葱芘とは、葱帽子であり、葱宝珠を
象った「葱華冠」で、月氏龢族の聖職者が被っていた帽子
の事になる。
とするなら、
①後代の蘇毗族の名がある事
② 月氏龢族の聖職者が葱華冠を被っていた
という二つの理由から、葱茈族とは葱芘族であり、やはり
字形がそっくりなので書写間違いが起きたのだろう、
という推測が成立するように思える。
ところが、この葱芘→葱茈が写し間違いというなら、元の
葱芘と書いてある文献が、中国やその周辺の漢字圏の何処か
に残っている可能性があるだろう。しかし残念ながら私の
検索では、そのような(葱芘との)表記には遭遇しなかった。
全て葱茈羌と表記されているのだ。
そこで思い至ったのは、やはり月氏龢族は、この呼称は、
ソウシと発音していたのではないか?という疑いである。
有名なヒシ音韻転訛の現象である。
つまり、龢族はソウヒと言ったつもりだが、中国人には
ソウシと聞こえたのではないか?
で彼らの聖職者や高級貴族が葱華冠を被り、葱韮類を
儀式の聖草に手取っていた事や第一彼らのルーツが葱嶺
であったから、音訳で“葱茈”と表記した。
つまり書写間違いではなく聞き間違いだった、と私は
推理したのである。
ヒシ音韻転訛とは何か?
☆江戸下町訛りというヒ→シの発音変移について
有名なのは、日比谷をシビヤと読み、渋谷と区別がつき
にくい。
東広島はシガシシロシマになるし、常陸はシタチ。
だが火付盗賊改はシツケ------とは発音しない。
シツケ改では子守のようになってしまう。
また清正公の肥後熊本も死後熊本にはならない。火の国も。
「あんたがた何処さ 肥後さ」もシゴではなくヒゴ。
肥料を飼料と間違えたという笑い話があるがこれは眉唾物。
肥料はヒリョウである。
というのも、
ヒ→シの発音変移は、実は甲類のヒに特有なのではないか?
と考えられるからだ。
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●特殊仮名遣 甲類(甲音)と乙類(乙音)
現代日本語の50音のうち、イ段のキ・ヒ・ミ、エ段のケ・
へ・メ、オ段のコ・ソ・ト・ノ・(モ)・ヨ・ロ及びエの
14音について奈良時代以前の上代には甲類と乙類の万葉仮名
の書き分けが見られ、両者は厳格に区別されていた事が
わかっている。
(ただし、モの区別は『古事記』のみに見られる。
またエはア行とヤ行に分けられていた。
なお、甲乙の区別は濁音のギ・ビ・ゲ・ベ・ゴ・ゾ・ドにも
ある。)
例:「ひ」は二種類に区別されていた。
Fi 甲類:日、陽、霊、杼、氷、一、桧。
Fï 乙類:火、樋、干、肥、斐。
※ヒがHi になったのは室町から。鎌倉時代まではFi(といって
も、西欧風の歯唇音FiではなくHui、phiのような吹唇音)
だったとされている。それ以前は、piに近い破唇音だった。
但し、月氏語では、甲類ヒはphi,thi だったので、shi に変移し
易かったのではないか?(で乙類ヒが fi ? だったのか。)
※品ヒンも甲類か? phin+名詞化接辞aでphina =shina シナ
の訓が生まれた。
(名詞化接辞aには、店ten+a→タナの他例がある。)
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Souphi(葱芘)を月氏発音ではsouSiと言ったので、中国人が
音訳で葱茈と書いたのではないか?と考えるのだ。
だから、葱茈羌はやはり葱芘羌であったのではないか?
(つまり葱芘→葱茈は書き間違いではなく、聞き間違い
の可能性がある、という意味なのだ。)
ヒシ音韻転訛は、江戸下町訛りと言っているが、実際は江戸と
いっても、神田など日本橋から東側、浜町柳橋が音韻転訛の
ある地域で、両国橋の東:下総の西部(船橋辺りから向島まで)
方面がその地域に該当する。
しかし、このヒシ変移は、常陸・日立→シタチになるなど
他の常総地域の一部でも残っていた。
また、九州でもJR日田彦山線はシタシコサンセンのように、
音声変移して発音される事がある。
天領日田はシタと言っている人があったが、かつて紀行番組の
プロデューサーだった私は、小京都ブームの頃取材に行き、
日田は江戸から代官や手代などの役人が赴任して来るので、
御家人の多い事から江戸訛りが持ち込まれた、と思っていた。
また豊後の日地は城下鰈の珍味で有名だが、ここもシジの様に
聞こえた。海崖上の日地城の下の海底に育つので、シロシタ鰈
の名が付いたというが、日地城築城前から鰈は獲れていた、
だから、もしやそれは日之下鰈だったのではないか?
ヒノシタ→シノシタ→シロシタと変移したのだと思える。
さてもう一つ、息長足日媛はどうか。無論神功皇后の和名で
ある。息長帯日媛などとも書かれる。これは誰しもタラヒでは
なく、タラシヒメと読んでいる。景行天皇は大帯日子で、この
場合帯がタラシと読まれるので、息長帯媛という書き方もある。
タラシをどう解釈するかで変わってくるが、やはり天から降臨
する日子日女であれば、垂らし彦→足日彦、足日媛であろう。
九州でヒシ音韻転訛の現象が見られるのは、上古に多氏の支配
領域だったと思われる土地に於いてのみである。
常総地域のヒシ音韻転訛もまた、古代に多氏水軍が進出した
地域に重なる。常陸の鹿島が多氏の中心だが、下総は同系の
海上氏の支配地だった。(ヤマト中央の大海人=凡海氏の同族。)
これだけでは、月氏龢族=天孫族がヒシ音韻転訛を持っていた
との証拠としては不十分であろう。
そこでもう一つ、インドが身毒と呼ばれたという例を挙げる。
身毒はインドの中国での呼称・印度の古名である。
漢代にそういう表記になったとされているが、玄奘三蔵は、
この文字使いはいわゆる異国卑字表記で仏教創始国に非礼で
あるとして、印度と改める事を提唱し、唐代以降、中国では
印度と呼称するのが定着した。
サンスクリットのインダス川流域を意味したSindhu に対応
する漢訳語として身毒が生まれたとされる。しかし、仏教の
東伝でサンスクリット音が中国に伝わったのは後漢になって
からなので、身毒の名称の開始より遅かった。
身毒は、張騫が大月氏国に行った時に、周辺諸国の情勢として
聞いた一つの国の名として前漢に伝来したと言う話である。
よって漢人は月氏経由で古代インドを“身毒”と認識したので
ある。
古代イラン語の Hindušが中央アジアでの一般的な呼称で
あったと思われるので、恐らく月氏もヒンドスに近い表現で
あったろうと推理される。
このヒンダスが、月氏にはヒ→シ音韻転訛があったので、彼ら
はシンダスの様に発音し、これを漢人張騫が身毒と音訳した
のだと思う。
このヒシ音韻転訛は、大月氏での話だが、当然小月氏にも共通
していたであろう。
小月氏の東遷〜日本渡来=天孫族によって、ヒシ音韻転訛も
我が国に持ち込まれた。
ヒシ音韻転訛は古代に残っていた甲類ヒのみに起こる発音変移
であるとは先述した通りである。
私は、これを濃厚に保持したのは、天孫族の首長(オオキミ)の
壬生氏族にして、宮中祭祀官及び雅楽演奏者、また禁衛兵でも
あった多氏だったろうと考えているのである。
多氏は応神の東征時には、肥前鹿島や豊後津久見に拠点を持つ
多氏水軍が、武内宿禰と幼帝誉田別(応神)を擁して南海路軍と
して、大倭攻略に大きな働きをしている。
因みに漢字・品ヒンを、月氏はシンと発音し、これが後世に
品の訓読みであるシナになる。シン+名詞化接辞aでshina と
いうのも先に触れた。
多水軍はその後も、事実上大和王権の主力水軍であり、加太を
拠点に、熊野から尾張三河、そして東海道各地へ、王権の海兵
軍団として、東国経略の尖兵となった。
その先端が、常陸地方であり、また下総であった。
だから常総地方に、後世の隅田川両国地域にヒシ音韻転訛が
残ることになったのである。これが江戸下町訛りという現象
に他ならない、というのが私の説である。
ヒシ音韻転訛は、月氏のみに生起したものではない。
人類学的には、中央アジアの古代民族とは全く類縁の無い
ブラジルのアマゾン川流域の孤立原住民であるピダハン族に
ヒシ音韻転訛がある事を、ダニエル・L・エバレットが近著
「言語の起源」(How Language began)で紹介している。
ピダハン族では、キャッサバ(あのタピオカの原料)の粉を、
女性はツァガイヒと言うが、これが男性ではツァガイシに
なるというのだ。この場合のヒシ音韻転訛は、江戸に多い
語頭ではなく語尾である。
ピダハン族女性には、そも子音hが無く男性にはhもsも
あるのだそうだ。
エバレットは、本来は男性語のツァガイシがあって(という
のはツァガイヒとの発音も出来る筈の男性がツァガイシと
いうのだからヒが原音だと言いたいつもりなのだろうか?)、
「女性はs音を持たないので、ツァガイヒと発音してしまう」
という様なニュアンスで書いている。
だが、キャッサバ芋の栽培は女性の業務であり、また育児も
女性がやるので、子供たちにはその母親がツァガイヒと教えて
いたであろうと思う。それが、女児にはそのままツァガイヒと
いう発音で継承され、男児は大人の男性の発音を学習してから
ツァガイシと発音するようになるのだから、私にはヒが先で
シは音韻転訛の結果であるように思える。
勿論、ここで多氏水軍の末裔が新大陸に移住してピダハン族に
なったなどという珍奇な事を言い出したのではない。
つまり、ここで私が言いたいのは、人類の発声器官の共通性
から、ヒシ音韻転訛は、極端にレアな現象ではない!という
事を指摘しておきたいだけなのである。
とは言え、以下の点は確認すべき事項である。
「ソウヒにしてもソウシにしても、月氏が漢人にそう聞こえる
“ある言葉So-X”を発音し、漢人が意訳して葱芘 or 葱茈と書き
留めたのだろう」という事で、これには留意しておく必要が
ある。
葱芘が帽子・御冠を意味するのではないか? との考えに
遭着した時に、次のような連想もした。
それは、タジキスタンの語源由来についてである。
☆タジキスタンTadzhikistanという地名について
現在の中国語では、塔吉克斯坦,英文名Tajikistan。
この地名は、中国の古典では、“大食基斯坦”などと表記され
たりする。そしてそれは“大食肉旗国”の意味であるらしい。
だがこの肉は本来は肉月(ニクヅキ)で、月は肉の字の異体で
あり、即ち大月氏国の国名に由来するという解釈も従来、
一部識者によってされてきた。
北はタジキスタンから今のキルギス、南はパキスタン北部から
アフガニスタンの北部までの広大な地域にまたがるクシャナ朝が
その大月氏の後裔の建てた国である。
時にクシャナ朝ペルシャなどと間違って言われるが、大月氏国は
イラン系と蒙古族系の両方の系統を引く民族の国家であり、
決して後のペルシャ人の建てた国(例えばササン朝など)ではない。
しかし、匈奴にタリム盆地の故地を追われ、天山山脈の西北と
パミール高原の西部に逃れた大月氏は、新地域の先住印欧語族と
の混血で、蒙古系の容貌を薄められ、碧眼の西アジア系の容貌に
変化していった。
と同時に、タリム盆地からパミール高原東部に居住していた頃
に比べて、一般的な風俗はよりイラン系の色彩を強めただろう
と思われる。
さて地名の話に戻す。“大食肉旗国”とは、
分解すれば“大食肉”+“旗”(旗は中央から北東アジアの氏族を表す
語尾)+ “斯坦”(国)である。
そして“大食肉”は、彼らが遊牧民族であり、肉を大量に食す種族
であることに由来すると従来は説明されてきた。
大月氏はその雅字表現だという識者もいるのである。
タジク人は確かに肉食が中心ではあるが、遊牧の合間の宿営地
では夏場には農耕も営む。また高原の野草を食すので、北極圏
のイヌイットの様に偏った肉食ではない。
そこで、このタジク人という民族名の由来も、再度考え直しが
必要だと思う。
ペルシャ語でTajiは王冠を表す語彙である。これが、ムガール
帝国のインドに入って、有名なタージ・マハールの表現に
使われている。マハルはそこに葬られた王妃の尊名であり、
逐語訳的には「王冠のマハル」となり、ムガール帝国の皇妃を
表す言葉にもなっている。時にそれは「太陽のマハル」とも
解された。というのもTajiには、多分に陽光の黄金色を表す
ニュアンスがあるからで、むしろ王冠は”光り輝く頭飾り“が
原義である可能性もあるのだ。
だから西南アジアの語感からすれば、タジークTajikとは、
冠をかぶる族であり、タジキスタンとは冠人旗斯坦という事
になる。今のタジーク人男性も確かに帽子を冠っているが、
モスリム化の影響もあり、多分にペルシャ人的な帽子である。
だが、モスリムになる以前の帽子の形状は不明である。と
言っても一般庶民が光輝の冠を被っていたとは考えにくい。
やはりそれを被るとしたら貴族であろう。(中国辺境に残る
月氏の末裔である白馬;ベイマ族の女性達の民族衣裳では
美麗な髪飾りが見られるのではあるが。)
☆大月氏の由来も再検討が必要
だから、大月氏国もまた、中国流解釈の大食肉氏国ではなく、
冠人旗国ではなかったのか?とも考えられなくもない。
パミール高原には、月氏の支族である葱茈族が住んでいた。
従来は彼らが、肉食の付け合わせに食べた葱韮類の野草に
因むものとされて来たが、むしろこれも葱茈族とは、葱帽子
に由来する宝珠型の帽子を冠っていたからの命名ではないか?
との疑いもある事は、先に考察した。
葱茈族は”宝珠を戴く人々“であり、彼らが月氏の婆羅門階級
であり、王族は葱茈族から出るので、月氏全体を代表する
氏族であったと思われる。だから「大月氏とは葱帽子冠人」
(葱華冠人といい換えると和的になろうか)という事になる。
さらに葱茈族は、taji →thaji→saji→souji(=葱茈)との音韻
転訛であった可能性さえ捨てきれない。
実際タージマハールの本堂の屋根の形態は、西アジアの宝珠型
建築物を代表とするものとされている。
イスラム化してからの回教寺院の屋根や支塔ミナレットの形態
もまた葱坊主型と言われて来たのである。
また蒙古人が、天を祭祀するためのアルタン・ガダスという
木柱は、黄金の塔といい、北極星(天帝)の光芒の象徴とされる
が、この先端の形状はまさしく葱坊主の形態なのだとも言われ
て来たのだ。
だから専ら中国の古史書によって、大月氏国と表記されて来た
この国は、元来イラン系言語ではタジキスタンそのものでは
なかったのか?(そういう可能性も留保されなければならない
のか?)と一時は考えもしたのであった。
もっとも、漢流には“タールーシ”国なので、タージークと同一
では無さそうだと、今は考えているのだが---------。
→この月氏国(ルーシ国)の語源は何かについては、当論稿の
最後に再度究明する事にする。それがまさしく天孫族の本質
究明になるからである。