第20章(続) 葱茈羌や婼羌の後裔・蘇毗族

第20章(続)  葱茈羌や婼羌の後裔・蘇毗族

☆中国の史書の伝える葱茈羌や婼羌の後裔・蘇毗族とは?

  (◆So-Xの謎)

先に、「『ソウヒにしてもソウシにしても、月氏が漢人に

そう聞こえる“ある言葉So-X”を発音し、漢人が意訳して

葱芘 or 葱茈と書き留めたのだろう』という事で、これには

留意しておく必要がある。」と述べておいた。

小月氏となって羌族に混住したという葱茈族や、その領域に

重なるか近接していた(アクサイチン盆地辺りに居た?)婼羌

(ルウチャン)は、南北朝代後半には漠北の異民族に押されて、

幾つかの方面に分裂して行くのだが、チベット南東に逃れて、

昌都(チャンド)を首邑にしたサンパ(スンパ)は、漢名を蘇毗族

といいい、明らかに葱芘族の後裔である。(葱茈は葱芘の

誤写だと考えている人がいた。)

また西域のソグディアナ方面に逃れて九つの小国を建てた

部族はその王族が皆、“昭武”の国姓を名乗り、「自分たちは、

その昔(西域南道の)張掖近くの昭武城に拠った月氏の同族」

であると主張し、唐からは昭武九国と呼ばれたが、この昭武も

また蘇毗(葱芘)の転訛だと考えられる。

また中国の歴史解説では、蘇毗は初めSui-pisの様な読みで

あったという。

これは、葱芘や蘇毗が先にあってその読みがSouPiであった

のではなく、元々の月氏の言語でSoui-piという様な語彙が

あり、それを漢訳して葱芘(蘇毗)になったのだと思う。

SouPi→Sompa →Sumpaという風にも転訛したのか。

取り敢えず、単なる音訳ではなく、何か意味のある表記に

しようという事であったのだろう、SouPiが葱芘(茈)となり、

後代に通音で蘇毗となった。

だが、その元々の月氏語でSou-Pi とかSui-piという様な語彙

の、本来の概念・意味合いは何だったのか?

従来はこれを推定する手掛かりが無かった。(だから専ら葱嶺

という月氏の原郷と思しき地域の名にある葱の文字から、

葱韮類植物に関わるものだろうとの推理をして来たのだ。)

ところが、最近「諏訪学」関係の書物を見ていて、ハッと

させられた。

それは葱芘(蘇毗)とは曽冨理の事ではないのか?という着想

である。

従来の“諏訪”の地名の由来説は、盆地に流れ込むサワ(沢)が

語源で、サワ→スワと訛ったのだというものだ。

しかし、スワは元はスハであると思われる。古代の発音では

スパになる。

沢の場合は沙羽で砂利の多い川(河洼)の意味である。沙は砂で

あるから砂洼(砂川)とすればスワになり得ない事はないが、

スハ鎌倉のスハと同じ発音とすれば、諏訪はスハ、即ち古代は

スパだったろうと考える方が妥当だろう。

だから諏訪(時には諏方とも書かれる)とポウの字が使われて

いる。

そこで、諏訪の語源を沢ではないと考えた人がいて、これを

新羅の首邑慶州の古名であるソボル(徐伐)と同様にソポルだ

という説を展開している。

我が国でも、ソポル乃至ソホリは、有名な天孫降臨神話で、

日本書紀の一書に、天孫邇邇芸が高千穂のソホリの山峯(タケ)

に降ったと書かれており、また古事記には韓神の一つとして

ソホリ(曽冨理)神が登場する。

無論韓国の首都ソウルの原語でもあり、後に日本人が京城など

と和訳したために、王都の別名の如く受け取られているが、

本来の意味は“聖なる土地”を意味するのだという。

※ 新羅の始祖・朴赫居世が即位する時、「徐羅伐(서라벌;

ソラボル、じょらばつ)」或いは「徐那伐(서나벌; ソナボル

、じょなばつ)」という国号を使用した、という。

井上秀雄は『三国史記』の邦訳(平凡社・東洋文庫、1980年

p.31)で、『三国遺事』では、徐羅伐への分注として新羅語

による「王京(みやこ)」の訓であるとする、即ち「ソウル」

の語源であるとの記述----を紹介しつつ、徐那伐の「徐」を

「솟」と訓み「高」「上」の意と解釈し、「那」を「国」の古語と

する説と、「수풀」と訓んで「聖林」の意味とする説、「伐」は

「블」と訓んで「村落」の意味とする説を紹介している。

諏訪は建御名方神の鎮まる聖なる地なので、ソポルであり、

ソポ→スポ(諏訪)となったのだという説である。建御名方は

元来は出雲族なので周防にも関わりがあるといい、スポウは

諏訪・周防なのだと。

これを見て、私は「そうか、月氏語でSou-Pi とはソポつまり

聖なる地の意味なのだ」と悟ったのである。

Sopoが英語で言うsacred place の意味合い(Holly-ham 聖地)

であり、つまりは日本神話での高天原ではないのか?

だから漢訳葱茈族とは、元来は曽冨(理)族Sou-po(pi)なのでは

あるまいか?意訳すれば聖地族・高天原族という事になる。

因みに高天原は高魔峩加羅で、迦羅崑崙=カラコルムから来て

いる言葉である。カラコルムに面して聖職者魔儀の祈る場・峩

(斎日壇)のある所という意味だと解する。

その高天原は無論月氏の原郷であるパミール高原だが、それを

中国では葱嶺と呼んだ。葱や韮類などいわゆるネギ科の草本の

原生地だからである。芘を茈と書いてしまったのも、葱嶺には

紫草(茈)も多く見られたからだろう。単なる誤写では無かった

のかも知れない。

パミールとは“Pad(台)orPed(脚)+mi[myth](霊/聖)+Ru(日神)”

で、英語で言えば、”a hill under a Holliness of the Sun”と

いう様なニュアンスであろうか。これはアーリア語族的な表現

だが、東亜的に訳せば、“日聖阜”という風になろうか。

これを和語でいうなら“天照大神の坐す処(足下)“となるが、

つまりはヒノモト日之下=日本というのと等しいのである。

ソポルというのも語尾のルは太陽神のRuであろう。

この語尾のルは韓国語でもしばしば落ちる事があって、ソポ

という語もあるらしい。

つまり聖阜の意味で、そこに王城が置かれればそこは京城と

いう事になるのだ。

だから、漢訳葱芘族は聖阜族であり、日之下族なのだ。

ということは、月氏語のSoupiとは、元来はSo-mi-Ru で

Somiは“聖なる阜”に相当する。口唇音のmi→bi→pi との

転訛が起こって聖阜の概念はSoupiの語になったのだろう。

そして、このSoupiが漢訳されて葱芘ついで蘇毗となり、

又昭武ともなった、という事なのだと考えられる。

羌族に混住した葱芘族は葱茈羌と呼ばれたのだが、本来の

So-mi-Ruの様に、葱芘琉とも自称していた可能性があり、

この葱芘琉羌の略語が婼羌(ルウチャン)に他ならない。

(もっともルウチャンは月氏ルーシなので月氏羌ルーシ

チャン。若の字は月氏ルーシ=肉氏と中国では考えていた

ので、肉ニク羌→若羌→[女系国なので]婼羌との理解が

一般的であるが。)

聖阜とは、韓国でいうソウルが首府を意味するのと異なり、

この聖阜族の住地の主要な場所に設けられた斎日壇、即ち

太陽神を祭祀する土壇を意味するものだ。唯一所ではない。

この版図には、大きな集落ごとに複数あったと思う。

アクサイチン南方にある今はチベット区内の日土県の日土

Rudokもまたそういう斎日壇の地であったと推理する。

この斎日壇を持つ民、天孫族が日本に渡来した時、同じ様に

斎日壇を設け、それを日之下→日下カガ→久我と呼んだ

のである。(久我国を中国の使司は狗奴国と漢訳した。)

天孫族こそが日之下族であり、日本民族の中核になった由縁

である。

日之下を日本と表記して、則天武后に従来の国名「倭」から

変更することを認めて貰ったのだが、この国号変更は藤原朝

で俄かに発案されたのではなく、和族の九州王朝が、倭族の

連合体「大倭」を征略した時に、既にそこは「日之下」に組み

込まれたのである。

時に、天孫族にヤマトを追われた出雲族の建御名方が、本来は

天孫族のルーツに関わるソポルをして、信濃の亡命地に諏訪と

命名するというのは、一見おかしな感じがする。

しかし、出雲族の根源地たる辰韓から出た新羅の首府がソボル

の名を持つ様に、三韓時代には最早ソポルは、天孫族の専用で

はなく、月氏天山族三族全体の“聖なる地”を意味する語彙に

なっていたのだと考えられる。これは、三韓の前身「辰」の

時代に既にそうなったのか?或いはもっと早く小月氏の時代に

一般名詞化していたのか?定かではない。

ただ、昭武九姓の故事に出る張掖郊外の昭武城にしても、その

位置関係からすれば天孫族の居地というより、クシャトリアで

ある黄牛族の居地と考える方が適当であろう。そうすると、

漢訳の昭武の文字がいかにも戦士階級を表象するに相応しい。

黄牛族は出雲族のルーツである。

また唐に朝貢した東女国であるソンパ蘇毗にしても、婼羌の

時代の青藏高原全体の広大な領域を天孫族(龢族)だけで

カバーしていたとは思えない。ここはやはり西に移った大月氏

国と同様に龢族バラモンが上に立っていても、「龢をもって

尊しと為す」とするが、配下にはクシャトリア(黄牛族)や

バイシャ(白馬族)やスードラ(農耕民や部民従者)もいた上古の

大和国家のような三族協和支配の国では無かったろうか?

但し、そこも天孫族に特徴的な女系国家であったので、ソポル

=蘇毗の概念が普通に共有されていたと考えられる。

平安京の内裏内に曽冨理神が祀られていて、これは韓神の一種

で、素戔嗚の子神の大年神の子であるとの伝承がある。これら

の韓神は、平安京の内裏が土地を提供した秦氏の統領である

秦嶋麿の屋敷跡なので、渡来人の秦氏が祀っていた神を地主神

としてそのまま残したのだとの説明がされている。その通りで

あるなら、秦氏(白馬族)も含めて、三韓の支配層には曽冨理神

の祭祀が共有されていた事になる。もしくは、桓武天皇の母君

である高野皇太夫人かその近親者の渡来系の有力者から、韓地

では宮城に曽冨理神を祀るとの知識を得て、桓武自身の命か、

或いは造宮司であった和気清麻呂辺りからの進言があって、

祭祀されるに至った、という事情があったのかも知れない。

というような考察の結果として、葱茈族という表現を再度検討

してみた。

先に、私は茈はネギ類ではないから、蒜や韮という字の誤写では

ないか?葱茈族ではなくて葱韮族ではないか?との考えを

持ったのである。(これは、上古の和国の皇家や貴族や秦氏等

に於ける韮類や葱韮の嗜好食や栽培の伝承を考慮したからで

あった。)

然るに、更なる考究の過程で、葱茈羌族→婼羌族→蘇毗族と

いう呼称の変遷を考えればやはり葱韮ではなく葱芘で、この

芘はpi音の音訳であったろうと考え直し、また諏訪→ソポル

から葱芘=ソポだったのだ!と考えるに至ったのである。

ところが、ここまで考究を続けた結果、再び“葱韮”でも良い、

いや中国人が音訳の過程で、この韮が漢音ではキョウやジで

あり、漢音piに相当する芘の文字を使ったが、本来は韮の字

が妥当ではないか?という思考に遭着したのである。

韮という漢字はそも韭という、この植物の生えて来た状態の

象形である。これが草本である事を示意する為に、クサ冠・

艸が付けられている。

ニラとはネギ科の野菜だが、大韮はニンニクを指し、ニラでは

ない。ニンニクには蒜という字も当てられるが、これも正確に

は大蒜がニンニクで、単なる蒜は野蒜=小蒜である。

蒜は我が国ではヒルと読まれ、蒜山高原の名の元になった。

だが、ニラ(韮)もまた、古称はミラもしくはビラで蒜と重複

する概念である。しかも「葫」という文字もあり、正に韮類が

西域の物産である事を漢民族は理解していた。

つまり葱韮とは、so-biRuなので、sobru,sopil 、曽冨理を

意味する言葉にもなるからだ。

そしてパミールはpa(pede)-mi(myth)-Ra;太陽神の脚元と

いう意味であるが、これはアーリア語族の語であり、月氏〜

龢族の用語では、so-bi-Ruだったのではないか?

と考えられる。

このsoは英語のsole (足裏、脚部)のso と同系であろう。

so-bi-Ruとは太陽神の足下というのが直訳になる。

南方語系の足を意味するSoの系統語にはSo-ne→Sune脛が

ある。So+接辞k→はソク(足)となる。脚を無生物の下部と

すると石据え=礎Soにもなる。地名や人名にある中曽根や

長曽根の曽根は岩根、即ち岩石の足が延びて来ている状態

をいい、曽根田などという表現もある。これも元来は足を

意味するSoから派生した言葉である。

因みに箱根とは函状になった八里もの大岩根が続く、つまり

大曽根であり、だからこそ、その外輪山から続く岩根の延長

(曽根崎)を足柄と言うのである。足柄とは、足のスネから

コウまでのなだらかな傾斜のことである。

(石上布留大神というのも、石上=礎なので礎布留かも?と

疑っている。物部氏の祀る神社だが、辰韓〜新羅系の氏族

にも、聖なる丘という曽冨利を尊ぶ精神が継承されていた

と考えられるからだ。)

韓族の祭天行事を行う場所を蘇塗Sodoというが、この蘇塗は

神竿を立ててそこに鏡や玉器宝器を吊るしてシャーマンが天神

に祈りを捧げる場であり、その周囲は聖なる場所との意識を

持たれた。我が国の斎日壇であった日下=久我もその延長に

ある。

蘇塗は蘇塔とも書かれ、これが仏教では率塔婆になる。

因みにこの率は兜率天の率に通じる。兜率天は弥勒の浄土で

あって、弥勒こそ、mi(myth)-Raミスラ/ミトラ其の物だ。

蘇塗は礎棹ではないだろうか?神竿=棹で、これを立てる礎

(台座、壇)が蘇と表記される観念である。

so-bi-Ruソビル→蘇蒜(葱韮)→蘇毗ということなのであろう。

So がsole=pede (脚部)なので、so-bi-Ru 足-霊-日(曽冨理)

は、まさしく“日神の足下”=日之下、日の神の坐所という概念

と理解して間違いが無さそうだ。

という事で、積年の謎、葱茈族とはSohi→Sosiという音韻

転訛を受けた上での漢訳だろうが、元はSobiru→Sohiru

=Sohuri 曽冨利であると遂に解明できた、と考えるのである。

This blog post is actually just a Google Doc! Create your own blog with Google Docs, in less than a minute.