第21章 終りに (大陸由縁を抹消した日本人)

第21章 終りに (大陸由縁を抹消した日本人)          

             

   だが何故、日本では曽冨理は不使用にされたのか?

   なるべく大陸起源の民である事を抹消したかった!からだ。

   ( 向日は日向として、南九州の豊の辺境に仮定される。)

   古事記は共同幻想作成の為の下書きであった!

   百済と高句麗の亡命人も、日向山間部と武蔵山間部の辺地の

   開拓に従事させられた。(百済王氏と高麗氏とである。)

   一部の知識層や事務官僚が漢人などとして都での実務官僚に

   起用されたのではあったが。

   秦氏も、本来は月氏一族でありながら、和族が彼等から中夏の

   文化を学ぶ教師的な存在として、敢えて秦の王族の後裔の如く

   装おさせて、和族が日向で独自に進化した理由付けに利用したのだ。

では、何故こんな事をしたのか、というなら、白村江の敗戦後、唐による

侵略を恐れたからに他ならないと考える。

もし、日本の王室が、大陸起源なら、今やその東アジア全域を支配下に置く

唐が、いつ併合の口実や契機を見出すか知れないからだ。

何せ、大和自体が、自らの経由した三韓の地を併合しようとして中夏王朝に

訴えて来た過去の歴史があったからだ。

実際に、隋の時代までは中国王朝に抵抗し得た高句麗や百済も、唐によって

滅亡の憂き目にあっている。大和王権も何時か唐に併呑されるか分からない

のだ。しかも唐の太宗は、北方遊牧民族までを畏服させ、天可汗(テングリ

カガン)の称号さえ贈られているのだ。勿論、唐が元来は鮮卑族の出身で、

それが中夏の皇帝を兼ねたという意味である。(遊牧民の大汗と中国皇帝を

兼ねたのは、この後の元と清の三王朝である。)

この為、壬申の乱で図らずも(?)白村江に派兵した近江王朝の打倒をし、

天武によって新たな日本王朝が成立しているとの体裁を取ろうとしたのだ

と解釈されるのだ。

そしてこの作戦は、ほぼ同時的に女帝支配となった武周によって承認され、

我が国の領土は安堵されたのである。日本書紀もまたこの目的に沿うように

編集されたのだ。

かかる虚構は、無論大和王権の王族貴族のコンセンサスとして為されたので

あろう。その原案こそが古事記であり、それを精査して修整して正式の史書

に仕立てたのが日本書紀に他ならない。そういう意味からは、もし太安万侶

が構想した原案だとしたら、実によく出来た話になっていたと言えよう。

それが下敷きになったからこその書紀の完成だったと思える。

この過程で、厩戸皇子と蘇我氏が纏めたという「国記」には、未だ大和民族

の大陸由来が書かれていた可能性があり、何処かで消滅したとしなければ

ならなかったに違いない。

よく言われる皇紀を著しく太古のBC 660年に設定したのも、吾が国体は

大陸と無関係だとする為の作為によるものだ。

また、神代の記述に、些かならず滑稽・荒唐無稽な、幼稚とも思われかねぬ

話があるのは、敢えてそういうプリミティブな話にする事によって、日本人

が、あたかもその国土で、極めて原始的な世界から発展して来た事を強調

するという、荒唐無稽どころか考え抜かれた高等戦術だった!と称賛する

べきであろう。

そしてそれから1300年、日本人自身も、この日本書紀の虚構の論理に塗り

こめられ従属してしまった。

わずかにDNAののみが、日本人の原郷が西域にあった事を留めてくれて

いるのである。

This blog post is actually just a Google Doc! Create your own blog with Google Docs, in less than a minute.