天孫族考 補遺21 追補 「狭穂姫伝説」
天孫族考 補遺21「品遅部(ホムヂべ)とは何か?」追補「狭穂姫伝説」
補遺21で、「垂仁の皇子本牟智和気命が啞者だったが、色々な対策を講じたが直らず、結局は素戔嗚大神の祟りだと分かり、大神の大社を出雲に築いたところ、口が聞けるようになったので、記念して名代部として本牟智部を設けた」という記紀の伝承を紹介し「だがこれは信憑性が薄いので恐らく古事記編者である大安萬侶の創作ではないか?と言っている人がある」事に言及した。そしてその事で、こういう伝説を仮構するからには、大安萬侶に何らかの意図があったのではないかとの推理も述べたのである。
ところで、この伝承の信憑性が薄い事、つまり虚構であろうという判断がどこから来るものなのか?についての考証を飛ばしてしまった。
これについて今一度考究してみた。
先ず、この伝説譚は、“皇子の本牟智和気命が唖者でありそれが出雲の素戔嗚の大神の祟りだった”というのが骨子となっている。
しかしこの本牟智和気は、どうも記述を読む限りでは、外見的には障碍者には見えないし、また飛来した白鳥(の鳴き声)に気づき、どうやら父垂仁大王や廷臣の話は聞こえていたりするようだから、耳は聞こえている(=聴覚障碍者ではない)ようであるし、更に廷臣と共に出雲にも行っているので、ほかの身体障害や発達障害もないように見える。
つまりはただ単に、唖であるのは神の祟りだったというのである。
祟りや呪いというものは、その祟りや呪いの結果と見做される現象Aがありよく調べてみるとBという祟り神や呪詛者の存在が浮かび上がるというのが普通のパターンである。しかしこのような古代は非科学の時代であるから、
真の原因Cは分からず、わからないが故に霊的原因としてBが持ち出されるのだ。例えば、旱魃や冷害という現象(A)は、本当は気候変動上の理由(エルニーニョとか、地球上の何処かで大火山噴火があって噴出灰が太陽光を遮ったとか、科学的に推測される原因C)があるのだが、科学未発達の時代では、これを天神道真の怨念の祟り(B)だなどと説明するのである。
そこで、唖者であるという現象Aを考えてみる。しかもこの原因はパターン通り、素戔嗚という神の祟りBだというのである。
では、現代では、そのAの本来の原因Cはどう説明できるのか?
実はこれが説明できないのだ。現実には唖者である症状Aの原因Cは存在し得ないのである。(だから神話であり伝説だと片付けてしまえば話はそこで終わってしまう。)
だが、原因Cの無い現象Aであるというのは、説明Bだけ
ではなく現象Aの虚構性も疑われるのである。
現代医学で唖であることは構音障害という。音声を構成できない障害を総称した言葉であり、発声障害とか発音障害も包括する用語である。
医学者の解説を見てみよう。
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構音障害とは(症状・原因・治療など)
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適切な発音ができず、コミュニケーションで困ることがある状態を構音障害といいます。構音障害を引き起こす原因はさまざまで、原因によって治療を行う診療科も異なります。適切に発音するには、多くの器官が絶妙なタイミングで正確に動く必要があり、例えば唇や舌、顎が適切な位置で滑らかに、素早く動き、同時に喉の声帯が振動して音源として働く必要があります。音源である声帯以外の器官の動きに障害が生じ、正しい音として聞き取れない状態が構音障害です。一方、音源である声帯の動きが障害されて声が出にくかったり、どもってしまったり、知的な遅れにより話せる言葉が少なかったり、失語といった症状がある場合は、構音障害ではなく別の言語障害に分類されます。
原因
構音障害を原因別に分類すると、器質性構音障害、運動障害性構音障害、聴覚性構音障害、機能性構音障害の4つに大別されます。器質性構音障害とは、発音するための器官である唇や舌などの形態に異常があり、適切に発音できない状態で、口腔がんの手術後や外傷、口蓋裂など生まれつきそれらの器官に異常がある場合にみられます。運動障害性構音障害とは、脳や神経の病気あるにより発音する時に唇や舌などの筋肉を適切に動かす指令が適切に働かず、発音に障害が生じる状態で、脳卒中や交通外傷による脳損傷や、パーキンソン病や脳性まひなどの神経難病でみられます。聴覚性構音障害は、いわゆる難聴により、手本となる正しい発音や自分の発音を聞き取れないために、正しく発音することを学習できず、発音に障害が生じる状態をいいます。機能性構音障害は、上記のような原因はまったくないにもかかわらず、正しく発音できない音がある状態です。
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以上を検討すると本牟智和気皇子はいずれにも該当しない。
だが機能性構音障害の隣接概念としての発声障害に、精神的失音症がある。
何らかの精神上の圧迫が原因となって、一時的に発音障害が生じる現象で、上皇后美智子様が一時、ご心労から発症された事があった。
古事記の本牟智和気の話でも、本牟智和気の母狭穂姫命(垂仁の皇后)が、その兄狭穂彦の興した叛乱(狭穂毘古の反乱)の際に、実家の狭穂毘古の邸宅に閉じこもっていて、周囲の稲城に官軍が火を放ち、火中で出産した事になっている。皇子名の由来を、記では稲城の焼かれる火中で生まれたので、母により火出別(ホムズワケ=本牟智和気)御子と名づけられたとする。
その後、皇子を官軍の兵に渡して皇后は兄と共に焼死したのである。
この火中生子であり、父王が母を焼殺したことがトラウマになって皇子は唖になったかのようにも説明されているが、この事件は嬰児の時であり、皇子自身がそれを記憶していた筈は無いので、それがトラウマの原因で失語症になったという解釈には無理がある。
また母の狭穂姫や伯父の狭穂彦が本牟智和気に祟る理由は無いので、結局は太占によって、出雲の神祟りだと卜定されたのである。
但し、祟った神については、記紀と異なる古書古伝には、出雲の大神ではない別の神の名が挙げられてもいるが、素戔嗚では無いだけで、その多くは出雲系の神である。
こうして見直すと、本牟智和気の伝説は、(あり得ないタイプの)唖の皇子を創出し、その事で出雲の神が祟った事にする仮構が為されたのであり、これには大安萬侶の何らかの意図が存在したとしか思えない、という風になるのである。
◯ 狭穂姫伝説
狭穂彦(沙本毘古)・ 狭穂姫兄妹は、開化天皇皇子という日子坐王の数多い子供の内の二人である。日子坐王は複数の妃を持ち子沢山であった。
皇統譜的には、垂仁は開化の孫(崇神の子)だから、 狭穂姫は垂仁の再従妹(ハトコ)に当たる。狭穂彦(沙本毘古)・ 狭穂姫の名の通り、大和盆地北部の佐保の地は日子坐王の支配領域だったようだ。(だが、佐保姫の名で別の姫がいるので、垂仁皇后の狭穂姫は佐保ではなく狭穂と書かれる。)
狭穂彦の乱は、数多い古代の王家の王権を巡る争い伝承の一つであるが、息長氏も日子坐王の血脈なので、単に開化の皇子というのでなく、日子坐王の系統は、出雲系王朝の中で、大王家と並列する王家の血統ではないか? とする古代史学者もいるようだ。(新羅なども王統が複数並列していたようだ。新羅も辰韓のクシャトリア王族斯羅國が辰韓そして南韓全域を統一したのである。)
私の「天孫族考」本文の中でも述べたように、出雲系王家は、月氏黄牛族の末裔であり、天山山麓に居た時以来、クシャトリアの氏族である。黄牛族はクシャトリアなので、王位に就くときには、バラモンである龢族系の子女を王妃に迎える習慣があった。
日子坐王の血統は、黄牛族出雲系王家に対して、支配の正当性を補完するバラモンの血脈ではなかったか?と考える。天山三族には王の他に副王が居たとされるので、日子坐王〜狭穂彦は副王であったのかも知れない。
形而上の最上級階層は龢族なので、狭穂彦は自ら王位を望み、皇后になった妹の狭穂姫に、「兄と夫とどちらが大事か?」と迫り、妹に垂仁の寝首を掻かせようと短剣を持たせたが、夫をも愛していた狭穂姫が、寝屋で夫の顔に涙を落として目覚ませてしまい、事情を白状してしまう。
叛逆を知った垂仁が狭穂彦の屋敷に討手の官軍を差し向ける。実家に逃げた狭穂姫が、戦いの最中に産気付き火中で出産するという話になるのである。
こういう、王家内の兄弟や、王族内の王位を巡る争いは、我が国だけでなく古代中国や中世の各国で普通に見られた事象である。
最たる例は、唐の太宗そして高宗の二代にわたる兄弟間の帝位を巡る死闘である。
華流ドラマ「則天武后」の中で、高宗の妃になった武則天が、「何故この兄弟は、こんなにも殺し合うのか?」と聞くシーンがあった。
高宗の外祖父でもあり、唐建国の功労者でもあった宰相の長孫無忌は、こう答える。「それは、王族同士だからです。我々臣下の家庭では、兄弟は互いに相助け合い慈しみ合うものです。それが王族では、皇位というものへの欲望が先立ち、兄弟も争う事になってしまうのです。」
王家内部の抗争は、後世のフランスやイングランド王家にもあり、史劇の素材になって来た。
狭穂姫物語は、作家の魂に呼びかけるものがあったのか、明治初期に“ラスト浮世絵師”と呼ばれた月岡芳年が、明治十年代に描いた「大日本名将鑑」のシリーズ51枚の絵の中に入れた。女性が中心的なモチーフの絵も天照や神功皇后など複数が描かれている。狭穂姫の絵は時代考証などない時期だから、平安朝風の衣装で描かれている。(但し、ここの“名将”とは討手の大将である上毛野八綱田の事である。)
話は戻るが、注目すべきは、品遅部の伴造と考えられる品遅部君は、後世自分達は日子坐王の後裔という主張をしているらしい事である。
例えば、息長足日媛は日子坐王の孫だが、その弟とされる息長日子王という人がいて吉備品遅君祖、針間阿宗君祖だとされる。また異母子の大俣王(おおまたのみこ)の子に曙立王 という人があり、こちらは伊勢之品遅部君祖、伊勢之佐那造の祖だという。
私は先に、品遅部は出雲系王家の壬生部ではないか?としたが、あるいは品遅部は副王家の日子坐王系王族の壬生部なのかも知れない。
◯出雲系王朝と天孫族(和族)王朝
天孫族考で詳説したが、改めてここに整理して掲げておく。
◆出雲系王朝 国号「大倭」(ヤマトオオヰ) 首邑 ヤマト三輪山麓
皇祖 孝霊(素戔嗚)→孝元(大物主)→開化(事代主?)→崇神→垂仁→景行B→成務B→ (弟)倭建(ヤマトタケルB)→仲哀B→香坂→(弟)忍熊
◆和族王朝(九州王朝) 国号日下(狗奴)→日本 首邑 武雄・遠賀〜大和・難波
世祖 孝昭(邇邇芸)→孝安→景行→大稚足日子(大碓=成務)→ (弟)小稚足日子(小碓=日下建=武内宿禰)→妻 息長足日媛(神功)→誉田別(応神=神日本磐余彦:幼名雀)→ (弟)大鷦鷯(仁徳)