補遺25続々 追補「四川省ギャロン蔵族の帽子」
天孫族考補遺25続々 追補「四川省ギャロン蔵族の帽子」
以前天孫族考補遺25とその補遺などで日本人の支配層は先住縄文人世界に渡来した月氏の後裔であり、彼らは冠帽子民族だったという事を述べてきた。そして、その彼らの族長クラスの帽子は鍔付きの頭頂帽だったと推測されることも述べた。この鍔付き頭頂帽は、中央アジア起源らしい事にも言及してきたが、さりながら、それがどういう地域で発生して月氏の習俗になったのかは判然としなかった。
今回、ようやくその端緒ともなる事象に気づいた。
高崎綿貫山古墳出土の冠帽子埴輪
VTRの整理をしていたら、過去にNHKが中国中央電子台(北京放送)と共同制作した「四川省ガンゼチベット族自治州」の特集篇が出てきたのである。
※番組タイトルは「中国四川省ガルゼチベット族自治州」となっている。(初回放送日:2019年3月30日。)
ガルゼというのは欧米のウール生地ガルゼウールの名称だが、中国語やチベット語には無く、これは、ガンゼの間違いと思われる。
※ガンゼの意味については後述する。
これを見返したところ、大雪山脈の渓谷をバックに、追分風メロディの歌の朗詠をしていた男性が、頭頂帽で前後左右に羽根(垂布;鰭?;フェルトか?)が付いた帽子を被っていた。
恐らくこれは、日除け目的の羽根ではなく防寒用の物と思われる。冬場でない時は、垂れ布を跳ね上げて被るようだ。(右の写真)
この服装はガンゼ蔵族自治区の物なのだが、ではかつてのソンパ(蘇毗:東女国)の末裔だというギャロン自治区ではどうか?と検索してみると、男性の一部は鍔のある頭頂帽を被っているようだ。
ギャロン族は、中国政府ではチベット族に扱っているが、彼らはチベット語ではなく、羌族の言葉を使う。
古代の崑崙南麓の月氏は、匈奴の南侵に対抗してタリム盆地の西域南道周辺から崑崙山脈を超えた山岳地帯に移住した。そこで羌族と混住した。混住して羌族の一部族になったのが小月氏であり、近傍に居住したのが“中月氏”(私の命名)である。蘇毗族はこの中月氏の後裔である。
ギャロン族は、上古のソンパ族の末裔だと思われる。ソンパは蘇毗羌族といわれ、崑崙山脈南麓からチベット高原東部にかけての地域を国域としていた。宗教はボン教。首都は今の昌都である。女系国家であり、唐からは東女国と呼ばれた。
蘇毗羌というのは、彼らが後漢の圧政に抵抗する為に青海省方面にいた羌族と連携したからである。後にチュルク族(ウィグル)は彼らの戦闘能力の高い事を称賛して婼羌(ルウチャン)と呼んだ。ルウの字が女偏なのは、蘇毗羌は女系社会だからという。
※ギャロンは中国政府の公式の表示では嘉絨だが、彼ら自身の表記では格魯で民族自称だとする説や、近傍にある聖山に因むなどの諸説があるが確定していない。聖山信仰はボン教の特徴である。
列島へ渡来した黄牛族(出雲族)や天孫族が鍔付きの頭頂帽を被っていたことは、天孫族考補遺25「古代日本人は冠帽子民族だった」で論考した通りである。
その時は、この鍔付き頭頂帽は如何なる民族から継承したものか分からなかった。しかし、今このVTRを見て考えるにそれは月氏元来の習俗だったかもしれないと気付いたのである。
以前私は、このギャロン族のDNAと日本人のそれを比較してみたいという気持を表明した。この両者のDNAの異同を点検すれば、和人の月氏出自説の真偽が確認できると考えたからだ。
情報によれば、中国の科学警察研究機関が、犯罪者の人種特定の為に、少数民族や外国人・居住地別の漢民族や客家等の詳しいDNAデータベースを作成しているようだ。民族構成の複雑な中国では、初動捜査の基礎的な必要情報なのであろう。
そしてこのデータベースは“外国の研究者にも公開して、より正確なデータベースにスマッシュアップしていく”、という事なので、私もアクセスして調べてみたいと考えたのだ。ところが、このデータベースにアクセスする事が容認される外国人は、医師免許を持っている人に限るという条件が付いていたのだ。
そこで私はFacebookの古代史研究会で「古代史に関心の深いメンバーで医師免許を持つ人がいたら、是非その中国のデータベースにアクセスして、ギャロン族と日本人のDNAに類似点が多いかどうかを確認して頂きたい」と呼びかけたが、その後リアクションが無かった。
ギャロン族の居住地には、少数民族の住居の空間構成に関心を持った日本の文化人類学者が、調査に訪れていてその調査レポートも公刊されている。しかし、この文化人類学者達には、ギャロン族がかつてのソンパ族=蘇毗羌族という月氏の末裔だったなどという知識が無いから、日本人との習俗の異同など全く問題になっていない。
第一彼らはチベット仏教(ゲルク派?)の熱心な信者と考えられていたので、和人との共通性などありそうにないと、調査旅行中は考えていただろう。(実際はボン教信徒である。)
ギャロン族自治区は、あの有名な美人谷である。
もしこの美女を輩出するギャロン族が、我ら和人と共通の祖先を持っているとしたら、実に楽しいのだが。
2018年4月に放送されたNHKのドキュメンタリー「四川美人谷」では、最早男性は日常は着帽していない。しかし漢族の観光客を歓迎する舞踏に参加した男性は帽子を被っている。(直ぐ下の写真)但し、その帽子が果たして伝統的な意匠の物かどうかは判断できない。画面の真ん中の物はガンゼ族と同様形状の帽子である様だが、両脇に写っている二人は鍔付き頭頂帽である。
NHKのそのビデオでは、ギャロン族は積み石造りの4階建の家に住んでおり、防衛用の高塔(碉楼/石碉)を持つ。塔も積石造である。これを見ると、穴太衆の原像を見るような気持ちになってくる。またこのビデオに於いて、ギャロン族には今日階層が存在しないように見える。いうならば全てがバイシャ(庶民階層)としか思えない。千年の時が流れたとしても、蘇毗族の支配層(波羅門とクシャトリア)は何処に行ってしまったのか?
※ところが、もしギャロン族が月氏蘇毗族の末裔ならば、蘇毗族の信教は正確にはチベット仏教ではなく、その前身とも言えるボン教なのであるから今でもその残存がある筈だが、ボン教とチベット仏教の違いなどは、相当マニアックな学者でないと究明できないだろう。→現在では早稲田大学文学部の文化人類学者が当地を研究しているようだ。
とは言え、美人谷はここ10年ほどは有名になって観光地化が著しく、服飾も伝統の物その物でなく、観光用にアレンジされたとも伝わるので、習俗の見極めが必要である。
実際、祭礼に参加している態の男性の帽子は、ガンゼ族の帽子の様な毛皮製or羊毛製?の頭頂帽である。またボン教の聖職者ラマの僧帽は高い円頂帽に見える。
◯ガンゼとは何か?
Wikipediaでは、
“カンゼ・チベット族自治州(カンゼ-チベットぞく-じちしゅう)は、中華人民共和国四川省に位置する自治州。
チベット語名の「カンゼ(dkar mdzes)」とは、「白く美しい」の意で、中国語名の「甘孜」はその音写である。”
とあるが、これには異説がある。
●ガンゼとは?→ 崗日kangri(中国語)だとする説である。
崗日はチベット高原での山脈にしばしば付けられる名前である。
チベット語ではganze 。ガンゼもしくはガンツェか?
(kangri の方はgを黙音にしてカンリとも。)
例えば、昂龍崗日アリンカンリは日土Rudocの南東に連なる山脈である。昇龍の形に見立てた命名だろう。
崗日というのは“太陽を浴びる山並”というニュアンスかと思われる。この蔵北高原地域には日をリとかルという読み(呼称)が残っている。
もっとも今の中国音でも日はriになっているのでややこしいのだが。
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白水社 中国語辞典 に依れば
「日」
ピンイン rì
1 付属形態素 太陽,日.
用例 红日东升=赤い太陽が東から昇る.
2( Rì )付属形態素 日本.
用例 日汉词典=日中辞典.
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ギャロン族は、ソンパ族が恐らく吐蕃の圧迫を避けて四川省山岳地帯に逃げ込んだものだろう。だから相当歴史が古い。
一方ガンゼ族は、チベット族が、清朝の西蔵東部の土侯国の支配から逃れたか、或いは近世末の西康地域の騒乱から逃れて、四川省の山岳地帯に移住してきたものだ。言語はチベット語の方言だという。
そこで、この地域の他の自治区にいる少数民族の場合はどうか?と考えて調べてみた。
白馬族はむしろ青海省東部から南下していわゆる“民族走廊”と呼ばれる大渓谷沿いの山岳地帯に入ったものかと思われる。彼らが、四川省中心部(成都など)から見れば最も山奥に住む少数民族である。(とはいえ、彼らは白馬氐族らしい。岷江上流に居住する。)
白馬族の男性の帽子がどんなものか調べてみたが、女性のカラフルな帽子だけが興味を引くようで、男子の冠帽子については目下明確な資料を得られていない。
但し、祭礼に参加している男性の載る写真では、男性も女性と同様に、低頂の(浅い)白い2本羽根付きフェルト帽子(鍔ではないが縁取りらしき物はあるようだ)を被っている。恐らくこれは祭礼用かと思うが、別の不鮮明な写真で男の職人が室内でその羽根付き帽子を被っているものがあった。だから白馬氐族の帽子はこの羽根付き帽子かと推測される。
一方、シルクロード交易の民であった白馬族の本営である于闐(和田)の古代部族の被っていた帽子はどんなだったろうか?
ソグド帽のような三角帽子だったのか?或いは我が国の大黒天帽子の様な折れ袋状の物だったのか?