天孫族考補遺27続「バルソムはミッシングリンク」

天孫族考補遺27続「バルソムはミッシングリンク」

ミッシングリンクの一つとしてのバルソム

私は、天孫族は月氏三族の一つ・和族であり、(中唐時代の武則天に日本=ヒノモトの国号を容認させたのだが)元々その和族の国は日之下(ソフィル=タジク語のパミール)であり、大八洲列島に渡来後も九州で日下国(狗奴國)を自称していた事などを論考して来た。また小月氏が西域から遼河流域に移動する経路や手段についての見解も出した。しかし、そのほかに物証的な物が何かある筈だと考究し、和族は冠帽民族だった推理にも到着した。こういう物的ミッシングリンクの一つが、宗教儀礼に於けるライブ・バルソムの遺存なのである。

熊野信仰での梛木や、神道での榊に紙垂や幣を垂らす習慣などは、文明国に唯一残るライブ・バルソム(生きた聖植物の礼具)である。

東南アジアや大洋州の未開地のシャーマンなどでもライブ・バルソムを使う者がいるかも知れないが、残念ながら、それを詳にした文化人類学の論稿に接した事がない。

シベリアに残るエベンキ族やツングース族でもシャーマンが何らかの手持の礼具を使っている可能性はあろうが、それの詳細にも接していない。

そういう中で、一般の神道式葬儀でも玉串奉奠を行うなど、バルソムが厳然として存在するのが本邦である。

◉中国でのバルソム

中央アジアでの宗教儀式に於いて発展したバルソム(聖植物〜聖笏杖)だが、東伝して中国に入ったのは、既に宗教的な意味合いを喪失した笏が、王朝の文官の威儀具となって持ち込まれた。

例外は仏教での聖植物「樒」である。これについては後述する。

但し、仏教では、変形としての僧侶の持ち道具である払子=ホッス(拂子)がバルソム的な様態を残している。

一方、神仏の武具・呪具の模倣である独鈷や、祭具である鈴器などが、手持法具として存在したが、これらはもはやバルソムから遠いイメージになっている。ただこれらは、道教の法器に影響を与えた。

道教の法器には、生の植物を連想させるバルソム性は殆ど薄くなっている。

仏教の払子とほぼ同類の持ち道具が拂塵(ホツジン)で、あたかも塵払い;本邦近世の掃除用具の叩き(ハタキ)と重複視(ダブルイメージ)された。悪霊を払う法器なのである。

道教は漢字の持つ呪術性にこだわるところがあり、それが呪符とか霊符とかいう所謂お札を生んだのだが、それを古くは竹簡に貼った。竹簡呪符という。

また木簡や板木に貼り付けたり直接書き込んだりしたのが“呪符(霊符)版木”である。それの、横太の笏に「令」の字を書き込んだ物が令木牌であり、「勅令」と書き込んだ(縁起木である)桃の木製の板が“勅令桃木法器”である。

霊符版木には、霊符だけでなく、太極(二つ巴)などが描かれていたりした。このほか道教の手持ちの法器には、法杖とか法尺(天王尺)という物指状の物や、仏教の影響と思われる如意とか三叉鈴(三清鈴)などがある。

このように道教では(即ち中国の一般的習俗では)ほぼ聖植物というイメージは無い。(かつてあったが喪失したというよりハナから無かったのだろう。)

○中国でのバルソムの例外 仏教の樒(シキミ)

今や、中国の仏寺にその習慣が残っているのか疑わしいが、本邦の仏事(特に関西の葬式など)で使われるのがバルソムとしての樒である。

樒はその芳香が強く、また暖地の常緑潅木だった事から、寺院の飾り花や、仏事の手持ち道具として用いられたのは、神道における榊と一対を成す。

また昆虫がその匂いを嫌うことから線香に練り込まれた。

樒は元来、中国の唐朝で盛んに用いられていたらしく、日本には鑑真和上が渡航の際にその種を持参して、唐招提寺において生育させたとの伝承がある。

また渡唐した空海が唐の真言仏寺に於ける樒の利用法を実見し、かつその字の旁が“密教”の“密”である事の縁起を担いで、帰朝後、真言宗の法要に取り入れた事で普及したという。(その後、日蓮宗でも樒の利用が普及したが、その謂れには私は接したことが無い。今は創価学会の葬儀の必需品だという。)

僧侶の持ち道具ではないが、仏像で菩薩が蓮の華茎を手に持つものがあるが、これもバルソムである。

●このように中国のバルソムの事情を鑑みれば、中国では生の植物をバルソムとして宗教儀礼に用いる習俗は伝来しなかったか、もしくは伝来したとしても原道教の信念に合致せず早くに喪失したかのどちらかであろうと思われる。但し各王朝で、文官が笏を用いる習慣は存在したので、恐らくバルソムが生の植物の束では無くなった時点での伝来であったと思われるのである。

そうすると、我が国に於いて、神道でバルソムが生の植物を用いるという習俗(私はライブ・バルソムと言う)は、中国伝来でなく、天孫族が遥か中央アジア起源の習俗を列島に持ち込んだものと考えられる。

高崎綿貫観音山古墳の族長合掌埴輪に随従する巫女も跪座合掌しているが、その背後に立つ介添え役とおぼしき侍女も含めて、手にバルソムを持っていない。

また管見ながら、手に玉串や幣を持つ司祭らしき人物埴輪も発見されていない。と言うことは、古墳時代の途中までは神職がバルソムを持つ習俗が一般化していなかった事になろう。

私観では、祭祀者がライブ・バルソムを手にしたのは、河内王朝の草香(日下)の祭祀からではないかと思っている。(勿論その九州時代の日下国(狗奴国)に伝来していた習俗であろう。)

三輪王朝で大田田種子が三輪大神の祭祀に招集されたが、その祭儀の模様の中に於けるバルソムの存在への言及は見られない。

三輪王朝は出雲族系であり、月氏系天山三族の一つだから、バルソムを用いることがあっても不思議ではないのだが、記紀編纂の時にはバルソムが月氏系民族の共通の習俗だという認識は無くなっていたと思える節もあるから、三輪山祭祀では記紀での言及がなされていないのかも知れない。但し記紀で幣(大麻)の起源として、天の岩戸の故事に纏わり、“天照大神に奉斎された五百津真賢木(いほつまさかき)に由来する”という解釈が一般になされているので、幣を付けた榊は日神祭儀に関わるものであり、和族に伝来した習俗なのだろう。

新羅は出雲族同様に 、月氏黄牛族系だが、新羅の祭祀でのバルソムの使用例も特に目にしていない。(全点検したわけではないので不確実だが。)

そうすると、ライブ・バルソムは、やはり月氏龢族=和族が持ち込んだ祭儀習俗ではないかと考えられるのである。

菅公の歌「幣も取りあえず手向山

       紅葉の錦 神の間にまに」があるように、平安初期には幣を神社での祭儀に用いることはごく一般化していたと考えられる。

◉バルソムの形態の変遷

①生の聖植物の一束ね(Live Barsom )

   ↓

②枝束(束木)(Bundled Twig)---------締め縄で縛られている。

    ↓

  →B系統③幣や麻切れ布や注連・紙垂が付いている

     →④軸木に麻布切のみが下げられている

              ※④が御幣や大麻である。

 ↓(A系統)

⑤切り揃えた枝木・整形された枝束木(formed twig rod)

 ↓

⑥板木(一本の木片、木の板)(wood plate)

 ⑥a 笏(Rod) 宮廷の威儀具

 ⑥b 霊符牌(中国道教の法器)

 ↓

⑦非木製の板状持ち道具(non-wood rod)

   ---------象牙製、金属製、石板など。

⑧王笏(king's rod)

こうした形態変遷は、通常①から順次後の形態に発展していき、それは不可逆的な変化である。

従って、和族の③④の形態は、②からの発展であるので、⑥の様な段階とは全く系統を異にしている。

だから、⑥の段階に達した中国から③④の系統に変化することはあり得ない。

全く別の変遷・伝来ルートであると判定できる。

なお、③④を伝承して来た本邦でも、後に唐から⑥aが伝来した。

(この両者が併存しているのが、神官の手道具である。)

バルソムの機能上の分類

甲類

i)修祓具  祓い串、大麻、御幣

        ---------浄め、魔除、悪鬼払い、結界

 ii) 護符   護身札、お守り

   →西洋でもAmulet とかTalisman などに変形した。

iii)(仏教の)→線香、払子→(道教の)拂塵

乙類

iv)呪具  道教の霊符や令木牌などの法器、

      楚(シモト)=鉄杖、打ち杖→鬼女の持ち物

丙類

v) 威儀具  笏、王杖

vi)威信財  王笏

※甲類が基本であり、そこから乙類や丙類に派生したと考えられる。

現代に残るバルソムの図案

先般の安倍国葬儀の際に、岸田首相が弔問外交の場としたのが赤坂の迎賓館だが、その首脳面会に使われたのが、

「彩鸞の間」であった。

迎賓館の案内では、

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彩鸞の間

霊鳥が見守る部屋

迎賓館の正面玄関の真上の部屋で、「朝日の間」と相対し、創建時は第二客室と呼ばれていました。

現在は、鳳凰の一種である「鸞(らん)」と呼ばれる架空の鳥のデザインのレリーフがあることから「彩鸞の間」と呼ばれています。

この部屋は、条約の調印式、首脳会談などに使用されます。

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となっている。その首相と相手側首脳が座る椅子の向こう側に、丁度頭越しにバルソムの図案と思われるデザインの樹枝紋様が見えた。

迎賓館の図表で調べると、彩鸞の間正面の鏡の下の暖炉の両脇に描かれた樹枝紋である。そしてこの樹枝は下の三重の円環から生えているように見えるが、実際には紋様は上下対称で、下側にも下向きに同じ樹枝紋がデザインされている。

樹枝は、枝と葉が一体化したような意匠になっているが、葉序としては対生葉序なので、榊(互生葉序である)ではなく、マサキ(真木)であろうか。

この樹枝紋部分が笠状になれば、Facebookの「古代史研究会」で、岡本こうじさんが指摘された三角縁神獣鏡の後背の笠松形紋様になる。

岡本さんは下部にある円環部は、鏡そのものを表しているのではないか?と言っておられたが、私はこれは、樹木の根塊の図案化ではないかと考えた。

図案としてソフィスケイトされているので、実際は何か?は判定できないのだが、日輪のシンボル化とも思える。

ゾロアスター教を国教としていたササン朝ペルシャでは、王権の象徴として、ディアデムという輪状の飾帯があり、これを頭に付けたり首に巻いたりした。エジプト王が首に巻いている金製の多重リングも同類だろう。

このディアデムも、火の神たるアフラマズダの賜与する物なので、いわゆる炎の輪=日輪の象徴であろう。

これらを総合して考えれば、迎賓館彩鸞の間のバルソム模様も日輪から叢生したようにも見えるのである。

(鸞は神鳥ガルーダでもあり、ガルーダは日神の乗り物でもあるのだ。)

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