補遺29「再び姓(カバネ)について」
天孫族考補遺29「再び姓(カバネ)について」
姓というのは、最も基本のものが、臣・君・連の三つであり、それに宿禰が加わり、更に首・直や稲置・村主とか勝などが加わったとされる。
しかしこの氏族の出自を表すと思われるこの概念が、何故カバネと呼ばれるかについては、実ははっきりとした定説が無い。
カバネというのは、屍という言葉があるように尸+死で、この尸というのは骸(ムクロ)という言葉と同義なので、骨とか骨身・架台(ガタイ)を表すと思える。つまり、氏族の本貫とか根本を云う言葉という事になろうか?
またその語源の有力な説は株根であり、氏族がいずれの株根に生じたか?を表すもので、その転訛がカバネになったというものだ。
私は、天孫族のバラモンが禰宜(龢)族であり、禰宜は龢族の聖草(バルソム)の葱を連想するから、葱の株根で同じ株の一部が葱華(禰宜)と黄身(君・臣)・宿根となり、根分かれか或いは種で殖えた他の株が連(群茲)だと解釈した。
稲置などというのは、天孫族が稲作地=瑞穂国に来臨してからの村主を示すものかと思われる、とも考えたのだった。
今でも基本的にはこの考え方が間違いではなかろうとは思うのだが、もう一つ違う考えも生じて来た。
それは、姓とは中央アジアでいう階層ヴァルナではないかという着想である。
khvarna → kvarna →kabana →kabane との転訛かもしれない、という考えが芽生えたのである。
一般にヴァルナはVarnaであるが、中央アジア語ではしばしば語頭にkh音が付く。これが中国〜東アジアへ行くと、kh音は単純にK音が抜けてh音の語頭になったりする(西方民族の王名である汗カンは中国や朝鮮ではハンとなる)。
それが日本語の中では、h音が抜けてk音は残ったとも考えられるのだ。
(日本人の支配層が、そういう中央アジアに淵源があるとすれば、khan→han とならずkan となって残ったという事が考えられる。日本語ではジンギスカンといい、チンギスハンとは言わない。)
そもVarnaとは往々にして今のインドなどのカーストと混同される。カーストはヴァルナから生じたものであるが、同義では無い。
一般的な解説では次のようになっている。
森本達雄著『ヒンドゥー教-インドの聖と俗』(中公新書)などから。
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ヴァルナとカースト
ヴァルナとは「色」を意味する語。アーリヤ人がインドに入ったころ、肌の色の違いが身分の違いを意味していたところから、この語は「身分」「階級」の意味でも使われるようになり、混血が進み肌の色と身分の対応がなくなって
からも後者の意味で使われ続けた。ヴァルナの内部に多数存在するカースト集団をインドでは「生まれ(を同じくするものの集団)」の意味のジャーティと呼んできた。このジャーティを15世紀末からインドにやってきたポルトガル人が、自国語で「血統」「家柄」を意味するカスタ(その語源はラテン語の“カストゥス”)と呼び、ここからカースト制度という呼称が生まれた。
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※英語のvariety はラテン語 varius(多様な、色々な、まだらの)その名詞形variustas と同根。
varは変化を表す語幹。 varna は、various colors-men の意味か?
そこでヴァルナの発生進化の経緯の解説を見てみよう。
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ヴァルナ制度の形成
紀元前9世紀ころ、鉄器の使用が始まると、ガンジス川中流域の森林地帯の開拓が進んだ。またアーリヤ系民族はこの地で先住民から稲の栽培の技術を学び、農耕生活が一層安定したといわれる。
余剰生産の増大とともに、生産に直接従事しない司祭者や王侯武士階級の人口も増え、バラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農・牧・商に従事する庶民)、シュードラ(先住民を主体とする奴隷階級)からなる4ヴァルナ制度(種姓制度)が成立した。これはカースト制度の初期の形態と言えるものである。この時代にはまた王権がしだいに強化され、小さな王国が各地に誕生した。
すでに前期ヴェーダ時代にアーリヤ人の部族の内部に、政治的な力を持った
上層部族民、宗教を担当する司祭者、一般部族民という
3階層が存在していた。階層間の壁ははじめ薄いものであったが、後期ヴェーダ時代に入ると次第に厚くなり排他的階層の形成が進んだ。
まず司祭者たちが祭式を複雑に発達させてそれを独占し、神に最も近い人間であると主張して第1のヴァルナとなった。バラモン(正しくはブラーフマナ)とは「呪力をもった祭典の言葉を知るもの」という意味である。
つづいての上層部族民が一般部族民から自己を切り離し、政治と軍事の担当者となった。クシャトリヤとは「権力をもつもの」という意味である。
一般部族民は上位の2ヴァルナを経済活動によって支える庶民階級となった。ヴァイシャとは部族民を意味するヴァイシャという語から派生した呼称である。
以上の3ヴァルナに属するものたちは「アーリヤ」とも呼ばれ、バラモンの指導する宗教に参加することができた。
第4のヴァルナは主として先住民からなる隷属階級で、上位3ヴァルナに奉仕することを義務づけられ、社会的・宗教的にさまざまな差別をうけた。
シュードラという呼称は、先住民部族の名に起源するらしい。
なお、この時代の末期から次の時代の初めごろ、社会の最下層にシュードラからも差別される不可触民階層チャンダーラが形成された。
ここに成立したヴァルナ制度は、アーリヤ人文化の伝播にともなってインド亜大陸の各地に伝えられ根を下ろした。この制度はまた、多数のカーストからなる後世のインド社会の大きな枠組みとして機能している。なお、時代が降るとともにヴァイシャは商人階級のヴァルナとなり、シュードラは農民をはじめとする生産大衆のヴァルナとなる。それにともないシュードラ差別は弱まるが、その一方で不可触民差別は強くなった。
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というのが、一般的な理解である。
注)%はインドに於ける比率
私は天孫族考で、中央アジア起源の二つの権力階層、クシャトリヤの黄牛族(我が国では出雲族)と後帰のバラモンの天孫族(龢族)とが渡来して身分制度をもたらしたと論述した。
①王(君)・臣、②連、③{直・首}{勝}、④(部民)というのが、我が国のヴァルナ即ち姓(カバネ)の構造である。
縄文時代後半には海人族が玄界灘を越えて北九州〜山陰沿岸に移住して来たと考えられ、それが稲作をもたらして縄文の人々にも爆発的に広まったと考えられている。
縄文時代、それに海人族が海岸に集住したとしても、まだそこには階級制は無かったと考えられる。しかし階梯性のような緩い統率者の居る社会になりかけてはいたであろう。
文化人類学で昨今言われているビッグマンという族長によって統率されているような社会である。しかしビッグマンは時々に選ばれる族長や長老であり、世襲の者では無かった。
この昨今の用語ビッグマンについて知識を押さえておこう。日本版のWikipediaなどには未だ収録されていない。
日本版Wikipediaでは、「バスケットボールで高身長で、センター,パワーフォワードのポジションを務めるプレーヤーの総称。」としか出ていない。
しかし英語版にはある。
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A big man is a highly influential individual in a tribe, especially in Melanesia and Polynesia. Such a person may not have formal tribal or other authority (through for instance material possessions, or inheritance of rights), but can maintain recognition through skilled persuasion and wisdom. The big man has a large group of followers, both from his clan and from other clans.
翻訳-ビッグマンは、特にメラネシアとポリネシアの部族で非常に影響力のある個人です。そのような人は正式な部族や他の権威を持っていないかもしれませんが、熟練した説得と知恵を通して認識を維持することができます。その大男には、彼の一族と他の氏族の両方からの信者の大規模なグループがあります。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ビッグマン」の項目には;
ビッグマン
big-man
パプアニューギニアなどメラネシア地域にみられる伝統的社会の政治リーダーの一形態。通常は村落レベルをこえた指導力をもつことはないが,ビッグマン同士で競合し,勝者がさらに大きな支持集団を得る例もある。指導力の源泉はビッグマン個人の力 (富の蓄積) である。儀礼的な贈与を通して人々に負債感を負わせ,それによってみずからへの支持を集める。したがって,世襲的な首長制とは区別する必要がある。
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ビッグマンは一般に世襲では無かったというが、中国西南部の広西地区や雲南・貴州両省あたりの少数民族(いわゆる倭族であるが)のシャーマンには、今日世襲の者が見られる。
また恐らく後期縄文時代には、今のメラネシアなどでも見られる世代制;即ち若衆組・大人組・長老組なども既に発生していたに違いない。今日でも、漁村や辺地の宮座などでもこうした階梯制が存続している。
但し、この世代階梯制でも世襲、つまりある血統のものから族長が継続的に選ばれるという仕組みは一般的ではない。世襲的な或いは血統重視の族長推戴は、蒙古など北方牧畜民や騎馬民族に主に見られる仕組みである。
それが、相当に古い時代から、しかも理論武装したかたちで登場してくるのは中央アジアのゾロアスアター教の伝播や影響によるものだ。
それが神聖血統の首長世襲の制度となれば、それはとりも直さず“王権”の発生と云う事になる。
我が国では、縄文社会から初期の弥生・稲作社会までは、ビッグマンに統率される無階級社会であったろう。そこに渡来して来た黄牛族(出雲族)が先ず階級を持ち込んだ。世襲的な王制も入ったであろう。
黄牛族自体はクシャトリヤであるが、神祭の為の少数のバラモンは擁していたであろう。また神聖血統の女系である息長氏族も含まれていたと思われる。
(近江の息長氏はこの系統か?宇佐には別の息長系が居たと考えられる。)
この黄牛族が海人族と縄文系の農耕狩猟民を従えて成立したのが大倭であり、ヤマトから北九州の伊都国・奴国までが連合していた。東は尾張か三河辺りまでの小国も参加していただろう。
そこへ応神を擁した神功皇后と武内宿禰(実は宇佐系の息長豊姫と日之下建命)の東征軍がやって来て、ヤマト大倭を打ち負かして河内王朝が成立する。
この日之下国は任那高霊加羅から渡来したバラモン(龢族)であったので、ここに我が国に於いても、バラモン・クシャトリヤ・バイシャ・シュードラというヴァルナが揃う事になった。上古〜天武の時代までは基本的にはこの姓の維持された時代である。
これが壊れていくのは、宮廷内部での中臣氏=藤原氏の勢力拡大(下克上)の結果である。即ちこの氏族は、バイシャ→新クシャトリヤ→新バラモンと上昇し、遂には神聖バラモンである皇家と肩を並べるに至るのである。
日本の階級制度では(ローマカトリックの世界でもそうだが)僧侶になる事によって、一旦脱階級し、そしてバラモンの仲間入りをする事が出来るのである。
カトリックと本邦仏教の世界との違いは、底にあるゾロアスター教的な観念の有無である。即ち仏教では僧侶になれば、バイシャ(庶民)であっても昇浄土や輪廻転生が出来るという思想が潜在下にあると云う事なのだ。
整理すれば、和族(天孫族=龢族)は基本的にはバラモンだから、臣か君の姓になるが、そこに属する兵士がありこれはクシャトリヤなので連となる。
大倭の貴族はクシャトリヤであるから連である。大倭の庶民は縄文族の裔と海人族なのでバイシャであり、姓は直か族長は首、稲置。(稀に阿曇“連”がある。)
こういうゾロアスター教由来のヴァルナを受け継いでいるというと、では何故肝心のアフラマズダ(火の神)信仰が伝来しなかったかとの批判が出る。
これは、天孫族や黄牛族・白馬族が中央アジア高原〜タリム盆地に広まる間に、既に直接的な拝火教から、ミスラ(月氏的にはミフル:彌霊日=御霊琉、太陽神)信仰に遷移していたからだと考えられる。しかもミスラ信仰は西伝してミトラ信仰となったが、タリム盆地〜ヒマラヤ北の高原では、アナーヒター女神とも習合して、太陽女神信仰になっていたと思われる。これが本邦に伝来し、大日孁貴;即ち天照大神になったと考えられるのだ。
崑崙山脈南麓に残存した月氏(私はそれを天孫族考の中で中月氏と呼称したが)は、小月氏の葱芘羌と同族の蘇毗族だが、彼らは女首長を推戴しているので、中国ではルーチャン(婼羌)と女偏を付けた漢字を用いて表記している。
またその蘇毗羌族が南遷して建てた二つの国;象雄国とソンパ(蘇毗国)は共に女王国だったとされているのである。(丁度その頃、このソンパ:中国唐の呼称では東女国、その唐では則天武后、和国では持統女帝と女性首長が並列した。)
だから、天孫族に女神信仰があるのは奇異な事ではないのだ。
クシャトリヤの国では、男系優位になるので、太陽神も男神である。従って、出雲族の建てた三輪王朝では、太陽神=天照国魂神は男神だったろう。そこへ女神信仰を持った天孫族(和族)が東征して来て、太陽女神を持ち込んだものと、私は考えている。
また豊受大神も女神とされているが、豊穣の神という性格は、アナーヒター女神に重なるものだ。
文法に於けるSOV配列が、明白に中国とは異なることや、天孫族考で指摘した様に単流音であること、形容詞前置などを総合的に考慮すれば、和族が中央アジアの一角に源を持つ事を暗示する要素は多いと思われる。