補遺34「琉球とは?」

天孫族考補遺34「琉球とは?」

琉球の国名は、近世初期に那覇に滞在し、琉球の尚寧王ほかの王族や士族を弟子にした浄土宗の僧侶・袋中和尚(良定)が、その著書「琉球神道記」の中で“龍宮の事であろう”と述べている事が流布して、琉球=龍宮論になっている。

確かに、琉球の王府首里城の極彩色などや琉舞の華麗な衣裳などから竜宮城を連想するのは無理もない。しかし、和人がそういう印象を持つとしても、現地沖縄人が自らの国体を龍宮とするであろうか?これは全く、琉球の歴史の真実を理解しない為に起きた事である。

琉球は別名を「球陽」というので、琉とは陽つまり日のことだと分かる。

太陽をウチナー語でテダーという。この場合、テはタイ→ティ→テなので、陽をダーと読んでいる。これは陽の訓ヒがラーでもあるので、ティラーでテダーと転訛したものだ。テイヨーがテダーになったのではない。

(半知の本などでは、テイヨーからテイジョウとなりティダーと転訛したなどとするものもある。)

一方で、「〈球陽〉とは琉球の美称で,長崎を〈崎陽(きよう)〉と称するのと同じ用法である」との高良倉吉氏の説がある。他にも岐阜を岐陽といい、和歌山を紀陽という例があるが、球陽の場合、琉球側がヤマトの例に倣ったとは思えない。しかも球陽は、那覇や首里などの一都市の美称ではなく、沖縄全体の国名の美称なのだ。

この語は「球陽記事」という琉球の高官である蔡温らが清国乾隆帝十年(1745年)に編集完成した史書があり、その書名によって琉球の美称として広まったものだと一般的には理解されている。しかし私は蔡温らが使う前に、この語は琉球の異名として既に在ったものだと考えている。

琉球中山王は、12世紀末に伝説の舜天王が就位して始まったとされている。

この舜天は源為朝と大里按司の娘との間に生まれたという。しかしこの舜天の王統は伝説上のもので史実の裏付けはない。更にそれ以前に天孫氏の王統という神話上の王統があってこれが25代続いた後で、家臣の利勇の叛逆で滅亡したのを、舜天がその利勇を滅ぼして王位に就いたとされるのである。

舜天さえ架空の可能性があるのだが、まして天孫氏王統などは確認のしようがない。ただ、琉球は明に朝貢し始めその後の清にも朝貢を続けていたのだが、その時にも自分達は日本人と同種だと言い続けている事を考慮すれば、琉球側には、古くから日琉同祖論が存在していた事を物語る。実際、言語体系もほぼ日本語と同様である。但し母音の簡素化が進行して、ほぼ3母音化している等独特の転訛やリエゾンが生じているが、それらは基本的には日本語の派生と捉えることが可能である。薩摩弁や津軽弁なども畿内の言葉と比べれば相当に変化している。沖縄語(ウチナーグチ)だけが突飛だとは云えない。

とはいえ、浦添市の今沖縄国立劇場のある大字名は勢理客と書くのだが、これをジッチャクと呼んでいる。音便や転訛としてもかなりのものだ。Wikipediaでは、

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「じっちゃく」という読みは、「せりきゃく」の沖縄方言(母音の「e」→「i」、子音の「k」→「ch」)読みである「しりちゃく」が、濁音化・音便化したものである。 浦添市では、1996年11月25日の住居表示実施の際に正式な

読み方を「じっちゃく」とした。

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と説明されている。「k」→「ch」には焼き物→ヤチモンの例もある。

但し、明や清への朝貢時代には中国語も相当に入っており、語彙などではかなり和語と離れたものもある様だ。(もしかすると勢理客それ自体は中国語彙なのだろうか?沖縄にはこの浦添市以外に国頭と島尻に各一つ勢理客の地名が存在する。みなジッチャクと読まれるようだ。)

そして、私が注目するのは、日本本土では、中央アジア語彙と考えられる太陽(日)をルーとかラーとか云う用法が消滅しているのに対し、琉球では残っている事だ。本土は奈良時代の漢文習熟の影響が多大で、音読みでは日=ジツ、ニチ、カ、訓読みでは、ヒに集約されてしまい、ルの音はほぼ見られない。

古琉球に天孫氏王統があったというのは、全くの伝説であろうが、天孫族の音・日=ルーがある以上、琉球の支配層がかなり古い時期に渡来したことを推測させる。

※私説では和語の夜(ヨル)にのみ「舁日」(この漢字用字は、私が勝手に当てたものだが)でルが残っているとする。[ 舁(ヨ)は担ぐ・載せるの意味。]

夜間には太陽は扶桑樹の枝上で翌朝の再生誕を待って休んでいる。この日(ル)が枝に掛かって休む状態(寄る)がヨルなのだ、と解する。

だが対照の昼の方は“日留”で、留=日ではないだろう。日が留まるのが昼。

もしヨルも夜留だとすれば、その夜とは何か?という循環問題になってしまう。

明かりのリも“明か日”の可能性はある。赤留比売(アカルヒメ)のルである。赤留比売は“明か日媛”であろう。

また対馬の古豪族阿比留氏の留も日である可能性がある。ただその阿比が不明である。我孫子の語があるから我孫日で天孫の意かも知れない。(仏教では阿毘は阿鼻叫喚の阿鼻と同じで、大声をあげる事の意だが、阿比留氏が阿毘留では大声を上げ続けるというような訳の分からない意味になってしまう。)

また東大寺大仏は毘盧遮那仏(略・盧遮那仏)であるが、これはサンスクリットで“光り輝くもの”(英語のbrilliant,brightと同源)で、後世の訳語では大日如来なのだが、この毘盧こそ霊日(ミソラ)であり、“日”の中央アジアの呼称であるラーやルーの残映である。

ところで、琉球の最高神女は聞得大君であるが、この聞得とは神の言葉を聞く事ができるという意味だ。琉球王(御主加那志前=ウシガナシメー;加那志前は敬称・殿下)の加那志前の本義は神前なので、やはり審神者(サニワ)の意味合いがあるのかも知れない。そういえば、ヤマトの神名に見られる耳は、かつての天孫族考本文では「耳=根耳なのでネジ→禰宜ではないか?」との意見表明をしていたのだが、耳=聞得で神託を聞く能力がある人:巫覡=バラモン(龢)の意味なのかも知れない。

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