補遺39「クシャーナ朝文字の解読ニュースと“大王”の呼称」
補遺39「クシャーナ朝文字の解読ニュースと“大王”の呼称」
◯この程、ケルン大学などのドイツ人学者が、クシャーナ朝文字の解読に成功したというニュースがあった。
(このニュースの内容詳細は、この文末☆に収載しておく事にする。)
クシャーナ朝文字と言っても、クシャーナ朝では、バクトリア時代以来のギリシャ文字も使用されていた。
カニシカ王の金貨の刻印では、“王の中の王(シャーハンシャー)カニシカ”と、ギリシャ文字で書かれていたように記憶している。
と同時にクシャーナ文字というトカラ語文字の一つが併用されていたという。
今般、ドイツ人学者はクシャーナ朝時代の岸壁彫刻文字に於いて、バクトリア文字とクシャーナ文字が並立されていた事が、解読の契機となったという。
ところでそのシャーハンシャーの部分の表記にはSS と見える文字がある。
バクトリア文字(即ちギリシャ文字)ではϷ やθ が使われている部分だ。
◯シャーハンシャーについて
シャーハンシャーはシャーの中のシャーという事で、“諸王の王”の意味である。
Wikipediaを援用しながら考究を続ける。
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シャーハンシャー shāhan-shāh
「シャーハンシャー」 شاهنشاه shāhan-shāh とはパフラヴィー語のシャーハン・シャー šāhān-šāh 「šāh-ān(「王」の複数形)+šāh(王);"諸王の王"、"王の中の王"の意味」のアラビア語転写ないしアラビア語形である。
近世・現代ペルシア語「シャー」は古代ペルシア語の xšāyaθiya- (王)に起源を遡る単語であるが、同時に「シャーハンシャー」もまた同じ時期に出現する歴史ある称号である。いわゆる「シャーハンシャー」とはアケメネス朝のダレイオス1世が古代ペルシア語碑文群において初めて名乗った称号 xšāyaθiya xšāyaθiyānām に起源する単語で、旧約聖書に見られる「諸王の王」の形容表現はまさにこのダレイオス1世以来のペルシア帝国の王号を直接の由来としている。
アケメネス朝の歴代君主たちはこの「諸王の王」 xšāyaθiya xšāyaθiyānām 以外にも、「偉大なる王(大王)」を意味する xšāyaθiya vazraka という称号も用いていた。
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※ xšāyaθiya vazraka (大王) “シャー、大いなる”
古ペルシャ系語では(現在のラテン語系と同様に)形容詞後置修飾になっている。
これは叙述的修飾ともいわれるもので、シャーハンシャーもアラビア語系語順で形容詞前置になっているが、古ペルシャ語では通常シャー・シャーハン(王、諸王中の)になる。
だがパルティア語では"χšāhān-χšāh"と称していたようである。パルティアを倒してメソポタミアおよびイラン高原を継承したサーサーン朝でも šāhān-šāh として受け継がれた。
一方、上図のコインは、カニシカ1世のコイン。ϷΑΟΝΑΝΟϷΑΟ ΚΑΝΗϷΚΙ ΚΟϷΑΝΟ (諸王の王、クシャンのカニシカ)と記す。ShaonanoShao(shāhan-shāh) Kanisika Kushano と王名の前にあるShanano-Shaoの部分は形容詞前置になっているが、Kanisika Kushano は形容詞後置である。
これは、Kanisikaの前後に修飾語句が付いているので、こういう語順になったのか、パルティア語順でShananoShaoになっているのか、どちらかであろう。
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クシャーナ朝でも、シャーハンシャーという表現以外に、シャー・ウァツルカxšāyaθiya vazrakaという表現があったようだ。
そこで、それを考察する。
vazraka 𐎺𐏀𐎼𐎣 (vazạrka)
Pronunciation IPA(key): /waˈzr̩ka/
Adjective(形容詞)
①great
quotations ▼
𐎲𐎥 𐏐 𐎺𐏀𐎼𐎣 𐏐 𐎠𐎢𐎼𐎶𐏀𐎭𐎠 ― baga vazạrka Auramazdā ― Great is the god Ahura Mazda
②big
Middle Persian: 𐭥𐭰𐭥𐭫𐭢 (wuzurg)
Persian: بزرگ (bozorg)
→ Old Armenian: վզուրկ (vzurk)
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つまり、vazrka(ファツルカ)=>宇豆らか=大きか なので、ウズラ・シャー(大シャー:大佐) =オホキカキミ→オホキミ となる。
ウァツルカは大なる、偉大なる(great)を意味する形容詞。ペルシャ語でのように形容詞後置修飾になっているので、シャーウァツルカは大シャー=大佐=大王の意味となる。我が国の上古ではこれをオオキミと呼んだ。
これに対し黄牛族のシャーはゴシャー(牛佐)、白馬族のシャーはマシャー(馬佐→勝、宇佐)である。
マシャーの大統括者が太秦(ウズマサ)である。秦氏系の部族はバイシャの職能民だから、専門が多岐にわたる商工業者などであり、従ってそれら全体を統括する大人(大勝)を太秦(宇豆勝)としたのである。
宇豆牛佐はいなかったのか?
牛頭天王がそれに相当するのだが、神格としてあって実際の人格には存在しなかったのではないだろうか?
黄牛族の渡来者(出雲族)はクシャトリアであり、それは庶民に当たる秦系に比べて人口が少なかったからではないか?但し、出雲族も純粋のクシャトリアだけでなく、バラモンの女系の血族を保ち置きする息長氏や、出雲族の建築用材を調達し、また大工職も兼ねる員弁族などの従属バイシャも存在した様であるが、仮にそれらの各部族ごとに統括者がいたとしても、それらの上位の明確な宇豆牛佐としての存在は文献上は確認できない。だが諸々勘案すれば、やはり物部氏が事実上の統括者;五十迹手だったのだろう。
一方、和族の場合、王族以外に、マギー神官に当たる和邇氏(春日氏)や同じ仲ツ臣である多氏、そこに従属する鈴器氏(穂積氏)や鴨氏、和邇氏・多氏らに率いられる海人の綿津見族や大伴氏などがおり、かつ伊都国や豊の秦氏にも君臨していたので、宇豆日子=宇豆佐=大王の呼称を用いたのかと考える。
このウァツルカは本邦渡来後に、“宇豆らか”(形容動詞)となったと私は考える。
転じて、宇豆は大なることの形容語である。表記上は珍とも書かれ、珍子でウズコと読み、大事な(高貴な)子を意味した。
また、宇豆峰という山が宇佐にありこれは別名馬城峰という神奈備山である。これは宇佐の秦氏の信仰対象の山であった。
また宇豆峰=大峰である。役小角に始まる修験者は大峰回峰修行をしたというが、小角の母は白専女(シロトオメ)と呼ばれる巫女であり、もしかすると豊国の巫女系なのかも知れない。というのも、我が国の山岳信仰は豊国の国東半島に起源があるとされるからだ。
◯大王(オオキミ)の起源
天皇の称号は、天武時代に中国の五胡の北朝で天王の王号が用いられた事の応用として考案されたと考えられて来たが、大王(オオキミ)の起源については、従来考慮されて来なかった。大なる王であるからオオキミというのは、余りに当然視されて疑問を差し挟む事が無かった。しかし、こうして考えてくると、オオキミの起源は和族の場合は月氏時代のshāh vazrkaにあったのではないかと推理できる。
他方で、大王の称号は、高句麗や新羅・百済の各国にも存在した。
最も有名なのは、広開土王の号を持つ好太王である。太王と書かれるが、これは大いなる王と素直に解される。
それに対して、新羅の真興大王とか百済大王の表現がある。百済大王というのは、かつての馬韓が小国の分立する地域で、そこに百残が盟主としてあり、次第にそれらの分立都邑国家の王の上位に百残王が載り百済国となる。そこで諸王の王としての呼称が百済大王なのである。さりながら特定の百済王が大王と呼ばれていたと思われる例は見つからない。百済大王は概念上の称号らしい。
ところが、新羅の場合は、法興王や真興王が大王と呼ばれたのは、仏教の興隆を図った法興王が独自の元号を用いたりして、それまでの高句麗の属国的な地位から完全に脱した事で、やはり大いなる王の意味から大王と呼ばれたと考えられる。
このテーマについて、京大の坂本義種氏は、次の様な見解を述べている。
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古代東アジアの日本と朝鮮
〜「大王」の成立をめぐって〜
坂元 義種
【要約】 五世紀の百済には、「王」・「侯」を従える所謂 <百済大王>が成立していた。ところが、この頃、ほぼ期を同じくして、日本と他の朝鮮諸国にも「大王」が成立していた。高句麗には四世紀末期に、倭国には五世紀前期に、新羅には六世紀中頃に、 それぞれ「大王」が誕生したのである。 また、その成立過程を辿るとき、そこにはきわめて類似の現象がみられるのである。すなわち、支配領域の急速な拡大、隣接諸国の臣属─朝貢・入質、時には他の君主の冊立等もみられ、また他方、当該国王は、中国王朝に通じて、その封をうけ、それによってその国家の独立性を顕示し、また、東アジアの国際社会に、それぞれの地歩を築いたのである。「大王」は、こうした過程に生まれたのである。本稿は、この日本と朝鮮の「大王」の成立過程のうち、とくに国際的な契機に注目しようとしたものである。
(史林 五一巻四号 一九六八年七月)
→※この結論部分で坂元氏は言う。
---------さて、以上の考察から明らかになったように、古代東アジアの日本と朝鮮において「大王」が成立する際、重要な役割を果したのは、国際的契機とでも呼称すべきものであった。「大王」は国際的な動きの中に誕生したのである。
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これは、大王の称号が成立する条件として、当時の国際関係の中で、当該国が比較的に独立国家として強大化したというだけでなく、取り分け中国の王朝との冊封関係に於いて、倭・ニ韓・麗の四国の中での相対的優越性を承認される事を契機とした、との考え方によるものである。
高句麗・百済の二国の王権は月氏の流れを汲むものではない。しかし新羅は黄牛族の樹立した国であり、またかつての辰韓各小国家も基本的には月氏のクシャトリア部族である黄牛族の流れを継ぐものだったと思われる。従って新羅の大王の呼称はシャーハンシャー(諸国の王中の王)に通じるものがあったとしてもおかしくはないのだが、実際上はやはり坂元氏の考察通りであり、本邦の”大王“とはニュアンスを異にしているように思える。つまり新羅の場合も“大いなる王”なのだ。
ここのところを、我々の学校世界史的な知識で考案してみる。
世界史の古代で大王と呼ばれた有名例は、アレキサンダー大王とその彼に対抗したペルシャ帝国のダレウス大王であろう。和訳では共に大王となる。しかしこの両者の“大王”は意味を異にしている。アレキサンダーの場合は、英語ではAlexander,the great であり、これは“大いなる王”である。それに対して、ダレウスの場合は英語風に言えばthe king of kings (xšāyaθiya xšāyaθiyānām;シャー・シャーハン)である。
クシャーナ朝の王がシャーハンシャーを名乗ったというのは、元の大月氏国が、5つの土侯国(翕侯国)に分立し、その後貴霜翕侯国が他を併合してクシャーナ国となったので、翕侯Xi-hou; Hsi-houの上に立つ王者=シャー中のシャーという称号を用いたのであろう。しかし、月氏の王はバラモンである曽冨理(葱芘=日之下)族、クシャトリアである黄牛族、そしてバイシャである白馬族の3部族の夫々のシャーの上位のシャーであったから、元来シャーハンシャーの意識を持っていたのだろう。
それが小月氏の東遷で我が国に天孫族として渡来し、宇豆佐=オオキミという呼称に残ったのではないかと考えるのである。
◯ クシャーナ文字とカローシュティー文字
ところで、今回の解読のニュースの中では、“エテオ・トカラ語を表記するのに幻の未知のイラン系クシャーナ文字が使われた”とする。
すると従来トカラ語を表記するのに用いられていたというカローシュティー文字とどう違うのか?
字形を比較すると両者は微妙に異なっているように見える。
カロシューティ文字も月氏が使っていたとされ、ガンダーラ方面からタリム盆地の各地の砂漠から出土している。楼蘭から出土された鄯善文書などは、中国の学者によって既に相当解読が進んでいる筈だが、研究成果が発表されない。今の中国では、タリム盆地のウィグル人の迫害が民族浄化レベルで行われており、もしタリム盆地が古代に中国文明とは異なる月氏の文明を発達させていた事などは
ネグレクトしたいのだろう。しかもその月氏の領域は、先に民族浄化が済んだ!?チベット高原にまで及んでいたからだ。増して日本人が月氏に起源するなどという事実が分かれば、新疆や青藏高原の民族運動に対する日本の支援を招来しないとも限らないからだ。
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☆以下が今回の解読に関わるニュースの詳報である。
1960年代、中央アジアで謎めいた未知の言語が刻まれた岩が発見された。今回、ドイツ、ケルン大学の研究チームが、この謎の言語の解読に成功し、これらの文字がシルクロードの交易商の間で使われていたことを明らかにした。
クシャーナ朝(クシャーン帝国)は、紀元1世紀から紀元3世紀にかけて、中央アジアからインド北部で栄えたイラン系の大帝国である。クシャーナの宗教は、仏教、ゾロアスター教、ヒンドゥー教の影響を受けていて、これら宗教はすべて、シルクロード交易を通じて、クシャーナ文化に浸透した。
ケルン大学の言語学研究チームが、これまで未知の文字とされていた、古代クシャーナ文字の60%を解読したそうだ。
土器や洞窟壁に刻まれた未知のクシャーナ文字の解読
クシャーナ朝は匈奴に圧迫されて移動を開始した遊牧民族の月氏(ゲッシ)が起源で、現在のアフガニスタン地域に定住し、これら月氏の一部がクシャーナ人となり、巨大帝国を作り上げたとされている。
ユネスコによると、サンスクリット語とプラクリット語は、どちらもクシャーナ朝以前から存在し、バクトリア語とソグディアナ語は、中央アジアのシルクロード交易にたずさわっていた商人たちによって話されていたという。
これら言語体系については、よく知られているが、クシャーナ朝の言語については、まだ発見されていないものが多い。
いわゆる「未知のクシャーナ文字」と言われるものは、1960年代に最初に確認されているが、ケルン大学の研究チームのスヴェンヤ・ボンマン教授、ヤコブ・ハーフマン氏、ナタリー・コロブゾウ氏が、中央アジアの国々の洞窟壁、土器や鉢に刻まれた未知の文字を調査してきた。
2023年3月1日、タジキスタン共和国科学アカデミー主催のオンライン会議で、研究チームは、この言語の一部解読を初めて発表した。
現在、『Transactions of the Philological Society』誌に、「未知のクシャーナ文字部分解読」というタイトルで掲載されている。
発表によると、紀元前200年から紀元700年にかけて、中央アジアで広く使われていた未知のクシャーナ文字のおよそ60%を解読するのに成功したという。
クシャーナ語の音声特性を理解することがカギに
これまで知られているクシャーナ文字のほとんどは、現在のタジキスタン、アフガニスタン、ウズベキスタンで見つかっている。
ところが2021年、タジキスタン北西部アルモジ渓谷の岩に文字が刻まれているのが発見され、そこには未知のクシャーナ文字だけでなく、バクトリア文字も含まれていることがわかった。
ケルン大学研究チームは、ロゼッタストーンに刻まれていたエジプトのヒエログリフを解読するための方法論を始めとした、古代言語を解読するテスト済みの手段に頼った。
この新たな研究論文は、今回の画期的な成果は、バクトリア語の対訳テキストに書かれていた「ヴェマ・タクトゥという王の名」を解読したことから始まったとしている。
それから、「王の中の王」という言葉が一致する箇所が特定されたという。
クシャーナ語の研究では、こうした事実が明らかになったのは「基礎となる言語の良い指標となることが証明された」と言っている。
研究チームは、バクトリア語の対訳テキストを使って、文字列を分析し、個々の文字の音声特性を明らかにした。
未知のイラン系クシャーナ文字をついに解明
新たな研究では、この未知のクシャーナ文字は、まったく知られていなかった中部イラン言語で、バクトリア語とも、かつて中国西部で話されていたホータン・サカ語とも一致しないと結論づけている。
新たに解読されたこの言葉は、おそらくこれらの言語が発展途中のときに中間に位置していたものと考えられている。
では、誰がこの忘れられた言語を使っていたのだろうか?研究者たちは、現在のタジキスタンの一部である、バクトリア北部に定住していた人たちの言葉だったのではないかと考えている。
だが、中国北西部を起源とする内アジアの遊牧民族「月氏(げっし)」族の間でも使われていたのではないかとも推測されるという。
シルクロードに沿って広まった文化と言語
スヴェンヤ・ボンマン教授は、エジプトやマヤの象形文字の解読のおかげで、エジプト文明、マヤ文明の理解が進んだのと同様に、今回の解読成果は、中央アジアやクシャーナ朝の言語と文化史の理解を深めるのに役立つと言う。
この研究が本質的に示していることは、新たに特定できたイラン系言語(暫定的にエテオ・トカラ語と名づけられている)が、クシャーナ朝で使われていた公用語のひとつだったということだ。
この古代のコミュニケーションシステムが、バクトリア語、ガンダーリ/中期インド・アーリア語、そしてサンスクリット語と同時期に、シルクロードの交易商人たちが使用していたという仮説もたてている。
References:A Partial Decipherment of the Unknown Kushan Script* - Bonmann - Transactions of the Philological Society - Wiley Online Library / 2,000-Year-Old Unknown Kushan Language Is Finally Deciphered / written by konohazuku / edited by / parumo