補遺53「天孫族のトーテムは何か」

天孫族考補遺53「天孫族のトーテムは何か」

※本邦の民族構成は、[縄文人+海人族](=弥生人)+[渡来系](=月氏3族+亡命帰化人)と考えている。

過去の天孫族考では、月氏3族について、それぞれトーテム動物があったろう事に言及して来た。クシャトリヤである黄牛族(本邦では出雲族)のトーテムは無論牛である。またバイシャである和田(秦)族は白馬族だから馬である。

(とは言え、白馬族は部族・氏族が多いので、サブトーテムが、白狐や白猿など複数ある事は過去の天孫族考で指摘して来た通りである。)

ところがバラモンである龢(和)族=日之下族=天孫族のトーテムは何なのか?

従来は八咫烏では無いか?と考えて来た。八咫烏の三本の脚は、バラモン・クシャトリヤ・バイシャの3階層を象徴するものであり、その三本脚に支えられるのが天孫族だからだろう、と考えていたからだ。

しかしよくよく考えると、牛・馬と来て烏、しかも他の2者を表す2本の脚は分かるとして、ではもう一本のバラモンを象徴する聖なる動物Xが無いと、“その3本を統合するのが八咫烏”という概念構成が破綻するのでは無いか?と考え直す様になった。

天孫族の有力氏族は、春日氏と多氏である。共に神祭に関わり内ツ臣とされて来た。多氏の活動拠点だった地域には鹿島の地名が残り、そこでは鹿は神獣とされて保護されて来たという。

先ず、筑前の志賀(シカの)島。有明海の肥前鹿島。伊予北条の北条鹿島。遠江の西鹿島。更に常陸の鹿島神宮など。これらは全て春日氏・多氏の居住・進出地域である。また多氏同族といわれる春日氏に関わる大和の春日神社。これら全てが鹿を神獣として保護して来た土地でもある。

春日神社の伝承では、春日権現が鹿島神宮から鹿の背に乗って奈良の地域に遷御したという。この結果、奈良の鹿は今もって神の眷属とされている。

奈良時代には春日神社は、本来の春日氏の氏神から、新興の藤原氏の氏神として簒奪されてしまった。春日氏は、和邇氏でもあり本来は海人族的な性格も持っている。

春日神社が藤原氏に乗っ取られてから、平安時代の初め藤原氏に不幸が続き、これを春日権現の祟りだとして、摂関家は春日神社に海神を祀ると見られる若宮神社を別個に造立したのである。

同族であり、共に天孫族の有力氏族である春日氏と多氏とが共通に鹿をトーテムとしているのである。

そこで私は、これはもしかすると、鹿が天孫族全体のトーテムだったのかもしれないと考える様になったのである。

牛と馬が、クシャトリヤとバイシャである;黄牛族と白馬族のトーテムになったのは、月氏の中央アジア在住時の事である。

従って、もし鹿が(本邦渡来後天孫族となった)バラモンである和族(龢族)のトーテムなのだとしたら、その起源も、パミール〜ヒマラヤ北麓高原(崑崙南麓)にあった筈だ。そこで調べてみた。

果たして、この地域には聖獣とされる特別な鹿が生息しているのである。それが通称「クチジロシカ(口白鹿)」と呼ばれる鹿なのである。

この鹿は出生直後の子鹿にニホンジカと同様の白班があり、本邦に渡って来た天孫族は、本貫地であるヒマラヤ北麓高原にいたという伝説の聖獣であるクチジロシカを発見して驚いたことであろう。扶桑島こそやはり“約束の土地”だと感じたと思われる。

--------------------------------------------

クチジロジカ / Cervus albirostris / シカ類 / チベット高原

=ソロルドジカ 中国では、白唇鹿(バイチュンル)

《地理的分布および生息環境》 チベット高原の海抜3000mから5000mにかけての高山荒漠・高山草甸草原・高山潅木草原に分布している。現在の分布域は北緯29〜40度、東経92〜102度の範囲で、甘粛省中央部の南部、青海省東部、四川省西部、チベット自治区東北部および雲南省北部にまたがる。分布域の年降水量は200〜700mm、年平均気温は-5〜5℃、1月の平均気温は-20〜0℃、7月の平均気温は7〜20℃の間にある。森林限界は3500〜4000m、その上は高山草原であるが、4000〜4500m付近まではヤナギ類などの潅木がまばらに生えている。

《生態と行動など》 主要な食物は草本類(カヤツリング科・禾本科・豆科)であり、冬期にはヤナギ類などの潅木の芽も食べる。胃内容や糞分析の結果では、クチジロジカはJarmanーBellの原理によると草食(Grazer)である。

出産期は5月下旬から6月で、1産1子。初産は2歳または3歳で、毎年また隔年に通常12〜14歳まで出産する。最高寿命は、自然条件下では雄で12歳前後、雌はそれより長いものと推定される。群れは最大で200頭、平均35頭。

--------------------------------------------

現在の生息域は、東チベット地域になってしまったようだ。しかし2千年前にはもっと西まで広がっていたのだろう。この2千年の間に、気候変動と餌になる植生の変化があったこと;もう一つの要因はタジーク=大食と言われるほどの肉食民族によってパミール〜東北カシミールの地域からは、クチシロシカは絶滅してしまったと思われる事だ。一方チベット高原東部はチベット仏教が盛んになり殺生・肉食がタブーとなって結果的にクチシロシカが保護されるようになったものと考えられる。

またこの鹿の4音節の鳴き声が籥(ヤク)という竹製の笛の音に似ているという。(現代中国音ではyue である。)

実は、イラン系でバラモンをマギというのに、月氏系では龢という。この龢という字は、和の字の正字であるが、本来の字形は「禾+籥+禾」である。この字の持つ意味は、禾二つ(両禾:リョウカという)が王の前の左右に立てられる旗印の付いた矛であり、その中で籥(つまり本邦の笙の様な竹笛)が奏でられる(いわば雅楽の聞こえる)状態である。

即ちこれはパックス・ロワイヤル(王前の平和)を意味するので、龢は和ともなるのである。

中国でも皇帝の前には華表という名の皇帝への従属をシンボルする柱が2本建てられる。華表というのは雅字表現で、本来は禾標である。天安門前広場にも清朝時代以前?からの華表が立っている。

龢というのは、風が“凪ぐ”事でもあり、仏教の印相でいう未開蓮印(蓮の蕾の形象)で、両手を丸く膨らませて合掌する形である。また我が国でいうオニギリの形態でもある。

手を握って龢の貌をとるのがオナギリである。オニギリ状の山を神龢→神那岐といい、これが転訛して“神奈備”山という様になった。もっともそのまま那岐山という山名もある。

籥(ヤク)という笛の音のような鳴き声の鹿の仲間は本邦にもおり、やはりヤクという。このヤク鹿が多数生息している島を古代から屋久島と呼んだ。(屋久島にいる鹿だからヤクシカではないのである。)

更に特徴的なのは、その口白鹿は葱韮類を食べないのである。既に天孫族考と幾つかの補遺で論述したように、龢族の聖草(バルソム)は葱だった。そしてパミールの中国語名が葱嶺であるように、カラコルム〜ヒマラヤ北麓高原は葱韮類の原産地であり、また多くの葱韮類が見られた。唐の時代になっても、青海湖を通って西域に向かう高原路は葱路と呼んだ。一般に鹿類は大概の草本と灌木類やこの高原に多い楊柳類の葉を食す。しかし口白鹿は、よほど飢餓状態でなければ葱を食べ残す。

これが龢族から見るとき、聖草をこの鹿が認識していると映るのである。

龢族の被る帽子に似た華をつけるのでこの草をネギ(=禰宜)と言った。この華が葱華であり、いわゆる“ネギ坊主”である。

こうしてみると、籥鹿は龢族である月氏バラモンにとって、その氏族名にも関わる聖獣であると理解できる。言い換えれば、籥鹿をトーテムとするマギ・バラモンが龢なのである。

天孫族が遥かなる旅路の果に扶桑島に到達するまでの間に、原初的な意味合いは薄れていってしまったのであろう。しかし天孫族にとって鹿が聖獣だという伝説だけは残っていたと思われる。

だから各地にシシ踊りと言われる鹿の姿を象った被り物をした舞踏が伝わるのだ。

シシはこの場合、鹿の宍(シシ鹿)のことである。(猪の宍に対する言葉である。天孫族は鹿を聖獣視したが、先住の縄文族には(後世のマタギまで)鹿もまた肉(宍)食の料であった。この為、鹿もシシと呼ぶ習慣が残ったのであろう。

This blog post is actually just a Google Doc! Create your own blog with Google Docs, in less than a minute.