補遺54追補続付加「古相の神、宿神など」

補遺54追補続付加「古相の神、石神・宿神・白神・天白」

宮崎で日向神楽の取材を始めた頃のK氏が、ご当地日向中北部で「宿神三宝荒神」との額を掲げた神社に出会い、「このような祭神名に出会ったのは初めてだ。一体この神は、どういう性質の神か?」と私に質問して来たので、それに答えて、複数回の返信をした事がありました。以下は、その抜粋とマージです。

※因みに「宿神三宝荒神」は神統譜に載る神ではありません。つまり天孫系でも出雲系でも国津神でも無い神名です。これは全く修験道で想定された神です。

修験道には蔵王権現など神統譜や仏教の経典に載らない神

が複数存在します。(もっとも神仏習合思想では、それらの

修験道の神も、それぞれ特定の如来や菩薩の垂迹したものだと解釈されているのですが。)

そも三宝とは仏法僧の三つを意味する仏教用語です。その三宝を護持する荒神なので、仏教の護法神である明王のいずれかの化体であり、神像は明王と同様な忿怒相の表情をしているわけです。それが神社で祀られるというのは正に神仏習合時代の産物だという事です。

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(K氏へのメールより抜粋・編集)

先だって、西日本の"宿神"は東日本の"石神"と同じで、

古神道や仏教渡来以前の縄文人〜初期弥生人の「古層の神」に由来する事を述べました。また中沢新一の「古層の神」は考古学的なイメージでしょうが、私はむしろ「古相の神」と呼ぶべきかとも言いました。で、この古相の神

の後で、朝廷によって編纂された神統譜に載る(天津神、

国津神とも)神々が想定されました。(これらを私は、官制の神と呼びたいと思っています)

そしてこの官制の神以外を含めての神々が、いわゆる"八百万の神"になるわけです。

さてその古相の神については、古くから柳田國男やその

他の宗教民俗学者が研究を深め、折に触れて述べて来た

ものです。元来は日本先住民(天孫族渡来以前)の古宗教であったのが、遅れて自然発生した山岳信仰=役小角を伝説の教祖と見立てた山伏の信教;によって修飾されて汎"石神・宿神"信仰に成って行ったと推定されます。

その、東日本の古相の神ですが、石神(これは、どちらか

と言えば北関東以北)のほか、甲信地方では諏訪大社に繫がるミシャグジ(御社宮司神)となるほか、出羽地方ではビャクジン(白神----そう"白神"山地の)、そして陸奥地方ではオシラサマ、東海地方では天白神などとなっているようなのです。

石神がストーンサークルなど、北方ユーラシア古代の習俗に由来すると言われるのに対して、天白や白神は北陸に渡来した(古代東朝鮮から沿海州に広がった濊貊;と中華民族が呼んだ)ツングース族の共有する太白山は(今は白頭山と改称されています)信仰に由来するものです。これが天台密教の感化を受けた修験道によってtソフィストケートされたものが後の"白山信仰"にほかなりません。

ですから仏教化された修験道の洗礼を受ける前には、原白山信仰とか原太白信仰の時代があって、これが宿神と習合して、シラヒメや白鳥信仰や天白信仰に成っていたのが 、古代神道による神話整理統合以前の姿、古代日本人の民俗宗教の原風景だったのではないかと思われます。

北陸側では、白山神社の祭神は女神で白山媛、別名を菊理媛といいます。この菊理とは半島の濊貊族の建てた高句麗=ククリのことだと一般には理解されています。

古代には女真族の中に白山部という部族があり、これが太白山の北麓に展開していた部族です。恐らくこれが後に渤海を建国した部族に連なるものと思われます。

(ツングースの中国名が女真で、これは中世には"金"を、

そして近世に"清"を建国する民族です。)

因みに濊貊族の最南端部で韓族(の中の月氏系黄牛族)と融合して出来たのが古代の新羅(白木)です。

ところがこれが東海地方では、天白信仰になります。

天白というのは天一太白の事ですから、北極星の信仰

です。太白老人という語があるように、こちらはどうも

男性神に見えます。(これは柳田國男系統の推理。)

(星辰信仰は、黄牛族の信教だったと考えられます。)

先の(文大統領時代に)南北朝鮮首脳の会見で盛んに同一民族という事が強調されました。

しかし、統一新羅が成立するまでは西朝鮮から南端部は

百済人と倭人で、濊貊族の建てた高句麗(今の北朝鮮)や

新羅の人々とは多少?民族が違うようです。

最近も、垂れ目が百済・倭人系で、北は狐目であると言っていた右翼人がいました。

天孫族とその族長つまりオオキミはどちらの系統か?

という議論までもあるかのようです。

で、太白星信仰が朝鮮語で言う処の「星神ピュルシン」でこれを我が国では星宿信仰と言っていますが、ここに来ると、星宿→宿神と連鎖します。

一方、新羅の古代名は秦韓(辰韓)で(これに慕韓=馬韓、弁韓=弁辰を加えて三韓)、ここからの渡来人が秦氏だと言われた事がありました。(今では辰韓を含む三韓から、そこに散在していた月氏白馬族が秦氏の祖先だと考えられています。)

その秦氏が祀ったのが荼枳尼天=稲荷神で、更にその後

宇佐などの西海地方の秦系氏族が祀ったのが八幡神だと

いう事になっています。

天一太白は日本神話では天御中主に相当し、ここから高皇産霊神が発生しますが、これを別名高木大神といい、天照大神と共に天孫瓊瓊杵尊を豊葦原中国に降臨させる神勅を下した神です。この高木大神こそ、巫女である天照大神の父神であるとも、事実上の夫神であるとの説もあります。

無論、高天原(加羅国、韓国)に坐す神々ですが、高木とは

白木つまり新羅に由来するという説を唱える人もいます。

が、私などはこれは新羅ではなく、弁辰諸国の中の「高霊加羅」ではないかと考えています。高皇産霊の神名もこれに由来するのではないかと?。(朝鮮の古代についての史書「三国遺事」などには、加羅諸国や新羅の民は韓人だが王族は高句麗系だなどとの伝承もある様です。百済は王族は扶餘系と自称しています。)

また天白は天風であるとして、天候特に風の神だとする説もあり、伊勢神宮の摂社になっている風祭宮は天白の荒御魂=荒神だとし、伊勢に天照が祭られる以前の信仰の残遺だという人もいます。

このように、山岳やそこから降臨する田の神や水の神、それらを支配する風の神、雷の神、神木や磐座に降依するアニミズムや原始シャマニズムの神々、即ち八百万(ヤオヨロズ)の神々の、土地ごとの原初的な信仰があり、これらが古層の神と総称されるものなのです。それらが渡来人や山伏たちの宗教思想によって漸次統合されて、宿神や石神・諏訪神更に秋葉山神などに成って行ったのでしょう。

一方で、古代国家が成立すると、天孫族とそれを支える豪族たちの神話を整理統一する過程で、古層の神は、神統譜の中の何れかの神に比定され改名させられます。

更に密教によって理論武装した修験道によって再編成されて、中世の神仏混淆の宗教体系になると、古層の神は表面からは見えなくなって、国家信仰の枠外か枠にかろうじて引っかかっているだけの、土着の神々になり再度ローカル化して、実に様々な名の民間神になって近世まで延命してきたという歴史になるのでしょう。

「天孫族とそれを支える豪族たちの神話を整理統一する過程」では、統一の中に異端的に混入された神話も出現します。

素戔嗚の事などは、別名が新羅大神というのですから、明らかに出雲の神話には新羅系の説話が入っています。

(と言っても、我が国では辰韓は全て新羅と考えてしまっていますが、非新羅・反新羅系の辰韓諸国もあり、私などは出雲族はこの反新羅系伊西国=五十国を中心とした黄牛族の一部族だったと考えているのですが。)

また、イザナギがイザナミを訪ねた黄泉の国への入口が、伯耆と出雲の間にあるとの伝説があり、境半島がそれなのだとされています。恐らく美保が関側=根島の岩屋が黄泉の国への入口と想定されていたのでしょう。

(根島とは後世の島根の事です。)

しかしもう少し大観すれば、境港から出た船の先は隠岐を経由して、韓半島東海岸つまり新羅地方になるので、山陰海岸から見れば、奄美沖縄でのニライカナイに相当するのが(寄り来る神の来し方、そして現世の役を終えて魂の還っていく"原郷"なのは)新羅だという事になろうかと思われます。

更に黄泉から還ったイザナギが最初に産んだのが菊理媛だというので、新羅から帰国したイザナギは越前海岸にでも漂着したイメージなのでしょうか?

境港→新羅→越前海岸という経路は、明らかに古代の航海路を想起させるものです。

天白については、哲学者の山田宗睦は、伊勢神宮の別社である神麻続機(カムオミハタ)神社の祭神“天の白羽神”であり、神宮に麻衣(荒妙)を織って奉仕した麻続部(オミべ)の斎く神であるという別の説を考えたようです。

また絹(生布)が和妙(ニギタエ)で、これを織るのは服織部(ハトリベ)だというのです。服織部の祀るのは天の羽槌雄

(もしくは羽鳥尾)神で、神統譜では手力男命の子の兄弟神

とされています。(また白羽根というのは、あの金鵄勲章

に使われた金鵄、光輝く鳶の事だという説まで出て来ています。)

但し天白は風の神から水神にも転化し、その関係から天の白羽神ではなく水の女神である瀬織津姫だとする神社もあります。神麻続機(カムオミハタ)に瀬織津姫の織の字が通じるところがあり、これが星宿と結合すると天の川に臨む織姫伝説にも転化していきます。

どうやら古形は機織を司る神で、修験道によって修飾された形が風水神になるのではないかと推測されます。

麻続氏も服織氏も、共に辰韓系の渡来氏族のようです。

私の住んだ事のある駿府の町には、町のシンボルである

浅間神社から見て左方に麻機(アサバタ)、右方に服織・

羽鳥(ハトリ)の地名があり、両方の機織部の名がセットで

残っています。

また中沢新一は例の著書「精霊の王」で、この官制神話や

仏教によって再組織化される前の原始宗教を"古層の神"と定義し直して、吉本隆明の言い回しを借りて、

『アフリカ的段階』をあらわす宿神の前面には、

『アジア的段階』を象徴する神仏が立って、一つの宗教的

複合体を作っている。」とし、「だが実は神仏の霊力はこの"後戸の神"の隠れた霊験によってのみ発動されるのだ!」と力説するのです。

つまり中沢に言わせれば、神統譜に組織化された神道や本地垂迹説による仏教や修験道の如来菩薩の霊験も、民衆は建前と考え、本音的には、その背後に隠れている古層の神由来の霊力を感じ取っているのだという訳なのです。なかなかの洞察です。

宮崎銀鏡神社の神楽の題目「宿神三宝荒神」

だが、そのような国家によって制度化・組織化されて、

『アジア的段階』が進行すると、遂には神社仏閣の摂社や分祠と成って残存していた古層の神に対する信仰は次第に忘れ去られ、我が国では中世の後半には、圧倒的な験力と同時に政治力も得た修験道の文法によって、仏教も神道も統一的に説明されるような状態に成って行ったのです。

民衆も『アフリカ的段階』の霊験抜きで、『アジア的段階』の信仰に信憑性を覚えるようになったのです。

それが更に原理主義的段階に極致化するのは、日蓮宗や

一向宗の独尊的な信仰形態だと思えます。

そこでは最早、法華経や阿弥陀が五体投地の信仰対象に純粋化されているのです。ここには後戸の神の存在する余地が無いように見えます。しかしそれでもそれらの新仏教でさえ、地主神・地鎮神や伽藍神という形で、古層の神が潜在的な霊力を遺しているのです。

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◯山田宗睦「天白紀行」

※ところで、山田宗睦氏の著「天白紀行」なる書は、

彼が伊勢や三河遠州など東海一円に残る天白神社や社祠

を丹念に尋ねた記録である。だが岡崎のその名も天白町

の吉原という字にあるという天白社を探したが、初めは

見つからなかった。寺があり土地人に聞くとその裏手に

あるというのでやっと見つけたという。

ところが、その表側にあった寺の名を見ると「田植観音

天白山慈雲寺」とあった。そこで彼は、別の大正年間に

天白社が合祀された西尾市吉良の羽利神社にも傍に一寺

「荻原山海蔵寺(三河三十三観音第二十六番札所)」があった事を思い出す。そして次のように言う。

「慈雲寺と天白神社とどういう関係なのか、住職に会って聞きたかったが」次の天白社探索予定があった為断念して先を急いだ、のだと。

ここで私が驚いたのは、山田宗睦程の学者にも、別当寺

・神宮寺という概念が無いらしい事である。

百年間の国定教育によって、"近世まで神社は寺院の支配下にあったという事実が、払拭されてしまった!"という恐ろしい現象である。

(それで思い出したが、明治中期に皇統の南朝正閏論が盛んになり、その結果文部省が教科書に於いて北朝が存在した事を完全に抹消しようとした事があったのだ。

つまり国民には、北朝などと言う不正な皇統があった事などは、むしろ教えない方がいい;万世一系の考え方にもとる、と言うのである。これに教科書検定諮問委員であった帝大総長の山川健次郎が敢然と反対論をぶった。

「あった事を無かった事には出来ない。」正しい事実を教えなければならない!と。その激しさに負けて教科書に南北朝の両統迭立時代があった事の記載が残されたのである。因みに山川は会津藩出身、白虎隊にもゆかりの人で

あった。)

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中世から近世までに、官制の神と古層の神・八百万の神は、緩い共存関係を保って来たのです。

だが、明治の神仏分離令後には、八百万神も官制の神へ

読み換える動きが表面化します。しかし千年の伝統で永らえて来た古層の神や修験の神は、それでも今に残って来たのです。その意味の重大性を我々はよく認識すべきでありましょう。

だが、今やその古来の神々は「そんな神は居ない!」と

存在を否定され、忘れ去る様に仕向けられている時代が

再び来ようとしているのはないかと危惧するのです。

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