補遺62「水葱をナギという」 (ナギとネギ)

天孫族考補遺62「水葱をナギという」

〜ネギという名称はやはりナギからの転訛である〜

今回私の考究したのは、“ネギの語源がナギだった”という主題である。

従来、私は「天孫族考」で、概略次のように言って来た。

⚫︎ナギとは神巫(カンナギ)つまり司祭のことである。

⚫︎ナギとはゾロスター教徒の三階層のブラーフマン(漢訳は婆羅門;イラン系ではマギ)の事である

⚫︎ナギ族の司祭は、(後世に宝珠型と呼ばれた)帽子をかぶっていたと思われる=ナギ帽子

この司祭は禰宜と呼ばれた。(ナギ→ネギの転訛)

⚫︎ナギ帽子に似た花穂を付ける草本が(ナギ族の原郷であるパミール高原〜青藏高原を原産地兼繁茂地とした) 葱韮類であり、これをネギ(禰疑:漢訳が葱《ソウ》)と呼んだ

⚫︎このネギの繁茂地を中国人は葱嶺と呼ぶ(葱嶺は狭義にはパミール高原を指す)

⚫︎葱は龢族ほか月氏三族のバルソム(聖草)である

⚫︎広義の葱嶺は、ヒンズークシ山脈〜ヒマラヤ山脈の北方高原即ちパミール高原〜青藏高原である

⚫︎この為、後漢以降に中国で、青海省〜西蔵までの兵権を統監する将軍を、葱路行軍大総管といった事がある

⚫︎青藏高原をルーツとした龢族は女系社会であり、後漢書などにいう(一部が羌族と混住していた)“葱茈羌”族である

⚫︎ 葱茈族は本来は葱芘族だが、ヒシ転訛で芘→茈

⚫︎葱芘羌族は(擬制同族だった)黄牛羌族や白馬羌族の一部と連れ立って黄河を下り、遼の地に辰国を建てた

⚫︎辰国が南遷して三韓となったが、この内の龢族が日本列島へ渡来したのが天孫族である

⚫︎本来は龢nagiだったのが、頭音のnと後続音の半濁音giの影響でaeの発音となり、negiと聴こえる

⚫︎ナギには、神巫のほか那岐山(奈義山)や神奈義山(神奈備山)・植物の(熊野の)梛など多くの使用例がある。

⚫︎恐らく古代には、ナギが一般的で、ネギは植物の葱と、それに帽子(花穂)を共通形とする(?)禰宜に限られた

---------この古代のナギはネギの意味をも含むことがあることを、以下見ていくことにする。

◯古代植物「水葱」

ネット上のブログのお「万葉集遊楽」に、ハンドルネーム“気楽とんぼ”氏が、古代植物という「水葱」について、下記のように書き込んでおられる。

※この方の自己紹介では

        1940年生。18歳まで奈良、東大寺の近くに住む。

早稲田大学卒業後、大手商社で43年間勤務。

65歳で役員退任後、万葉集を早稲田大学内藤明教授の指導受け、万葉集遊楽を開設。

※ 私の大学の数期上の先輩であるらしい。

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万葉集には、水葱と書かれる植物が複数(4首)登場する。そして、これはミズナギと読まれる筈だが、略してナギとも言われる。また(亜種の)小水葱コナギの表記もあり、4首中3首はコナギが詠まれ、いずれも恋歌である。(いずれも今は水葵ミズアオイとも呼ばれる水辺植物である。)

最も有名な1首は、作者: 大伴駿河麻呂の歌

春霞 春日里之 殖子水葱 苗有跡云師 柄者指尓家牟

(「春霞(はるかすみ) 春日(かすが)の里(さと)の

殖(う)[植]ゑ こ[小]水葱(なぎ) 苗(なへ)なりと云(い)ひし柄(え)は指(さ)しにけむ」) ---------巻3-407

(春日の里に植えられた可愛い水葱、いつぞやか、あの水葱はまだ苗だと言っておられましたが、もう枝も伸びて大きくなったことでしょうね )

作者は大伴坂上郎女に娘の二嬢(おといらつめ)を娶りたいと思い、小水葱を娘に譬えて「幼かったお嬢さんはもう成長して大人びてこられたことでしょうね」と暗に求婚をしたようです。

二嬢は、大伴家持の妻・大嬢(おほおとめ)の妹にあたり、駿河麻呂と家持はまた従兄弟。

この求婚が成立したかどうか不明です。(多分不成立)

「植ゑ小水葱」は 食用に栽培されている水葱の意で

「小」は愛称。

 

次には、作者未詳の東歌

「上つ毛野(かみつけの) 伊香保の沼に 植ゑ小水葱

    かく恋ひむとや 種求めけむ 」  

     ---------巻14-3415

(上野の伊香保の沼に植えられたかわいい小水葱

軽い気持ちで関係を持ったのに、こんなに恋煩いになるとは思わなかったよ)

「上つ毛野」地名 現在の群馬県。「伊香保の沼」は榛名湖。「種求めけむ」とは意味深長な表現ですが、文字通りと受け取っておきましょう。

「遊びのつもりだったのが本気になってしまったわい」と惚気ているのか、相手の女から「子供が出来た」と結婚を迫られて困っているのか分かりませんが、東歌らしい素朴な詠いぶりで民謡とも。

同じく作者未詳の東歌、

「苗代の 小水葱が花を 衣(きぬ)に摺(す)り

    なるるまにまに あぜか愛(かな)しけ 」

            ---------巻14-3576

(苗代に交って咲く小水葱の花。そんな花でも着物に摺りつけ、着慣れるにつれて、肌合いがよくなり手放しがたくなるものだなぁ)

田舎の女と関係を重ねるうちに情が移った男。

「あぜか愛(かな)しけ」は「なぜか涙がでるくらい愛おしくなってしまった」の意を含み、薄青紫色の花は初々しい女性を想像させます。

苗代に小水葱が生えると、稲の栄養分を吸い取ってしまうので禁忌とされているそうです。(※だから稲作地では水葵は有害雑草扱いで駆除され、現代では準絶滅危惧種になっている。)

とすれば、関係を持ってはならない女性を暗示しているのかもしれません。

伊藤博氏は宴席での座興の歌とも解説されていますが天真爛漫な1首です。

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※以上は上述「万葉集遊楽」

https://manyuraku.exblog.jp/21431742/

の所載である。

そして、水葱(ナギ)を歌った残る1首が、

作者: 長忌寸意吉麻呂(ながのいみき おきまろ)の歌

「醤酢 (ひしほす) に蒜搗 (つ) き合 (か) てて鯛願ふ

我にな見えそ水葱 (なぎ) の羹 (あつもの) 」

---------〈万・巻16-3829〉

(醤酢に野蒜(ひる)をつき混ぜて鯛を食べたいと願う 私に、まずい水葱の吸い物なんか見せてくれるな)

※この水葱も実はコナギであると考えられる。まずいかどうかは主観によるが、ピリッとした食感があるらしい。勿論、汁物だから水っぽいしあっさりとした物だったろう。醤酢に野蒜を薬味に刻み込んで鯛(の焼き物?)を食す方が、ずっとコクのある味わいであろう事は想像に難くない。

“こなぎは水田や沼に生える1年草で、ミズアオイに似ている。9月頃淡い紫色の花が咲く。「なぎのあつもの」と 詠まれるように吸い物などの食用にした。”と解説する人がある。水辺に生えるが葱の代用という心得で水葱と書かれたという。

但し、単なる水葱ナギとはミズアオイ水葵の別名だと言われて、こちらは食用にはしない。食用にしたのはコナギの方であるようだ。(→後に混乱が生じた。)

もっとも子水葱(コナギ)というのは一応ミズアオイ科の亜種ではある。こちらは薬用植物でもあるとの事。花は染料に用いたとか。

コナギには植物辞典では以下の異称(別表記)がある。

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⭐︎檞菜 読み方:コクサイ(kokusai)

コナギの別称。

◆ミズアオイ科の抽水性一年草、薬用植物

◇学名 Monochoria vaginalis var.plantaginea

⭐︎事無草 読み方:コトナシグサ(kotonasigusa )

コナギの別称。

⭐︎古奈伎、古奈宜、子奈伎、子奈宜、子水葱、小水葱、小菜葱 読み方:コナギ(konagi )

⭐︎水菜葱 読み方:ミズナギ(mizunagi)

コナギの別称。

⭐︎細菜葱 読み方:ササナギ(sasanagi )

コナギの別称。

⭐︎鴨舌草 読み方:コナギ(konagi)

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これだけ別称があるというのは、かつてそれだけ親しみのある植物であったからだろう。

しかし、私が注目したいのは、葱(ネギ)の字を使ってナギと読ませていることだ。古代人には、“葱=ナギだ”という観念があったと推定される。私はネギの呼称はナギが元だったと推理している。

(小倉の南区には古地名に禰疑山があり、豊後には禰疑野があった。)

この水葱(正確には小水葱だが)古代人にとっては、食用の水菜の一種として扱われ、栽培もされていた。また延喜式にも、野菜として出てくるとの事。

◯水葱の羹

奈良新聞では以前、平城京遷都祭のために古代奈良の食文化を特集した記事を連載したが、その時に“水葱の羹”を再現した。

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平成16年から、栁進氏(元奈良県立医科大学看護短大学部教授)は宇陀市大宇陀区の休耕田を利用して、ミズアオイを栽培・増殖している(平成17年10月3日の奈良新聞で紹介)。ミズアオイの食用時期は前述のように4月からと植物図鑑にはあるので、春の野菜と思っていたが、宇陀地域では6月になってようやく芽を出す初夏の野菜である。

若葉を茹で物にして食したところ、ピリピリとした渋みや辛味が舌に残る。この特性は最盛期の7~9月になるほど強くなり、野山の植物を食べる機会が少なくなった現代人にとっては、少々刺激的な味でもある。

さて宇陀で栽培したミズアオイで、『万葉集』の「水葱の羹」を再現すべく奈良市宝来の奈良パークホテルを訪れた。当ホテルは、天平時代の宮廷料理を再現した「天平の宴」を現代人の感性に合う料理に仕上げていることで知られる。

この料理を担当しているのが尾道調理部長であり、考古学者や料理研究家の支援を受けながら、研究を重ねること二十数年を経て完成させたという勉強家である。尾道調理部長のもと、再現した「水葱の羹」は、スッポン、ミズアオイ、赤米餅、針生姜を用い、藻塩で調味した汁物になった。スッポンの旨味が汁に出てコクがあり、ミズアオイの大きな葉が椀に広がって、見た目にも美しい、美味しい汁物に仕上がった。

「水葱の羹」は今後、「天平の宴」の料理として、供されることになった。

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※この時に使われた水葱は、コナギではなく、間違えてミズアオイだったとも思われる。と云うのも、“ミズアオイの大きな葉が椀に広がって”と書かれているからである。

実際、コナギの方は今もベトナムでは野菜として普通に食材の一つになっているようだ。栄養価もほうれん草より上だと言う。(ベトナム語で何というのかは、色々調べたが残念ながら今のところ未詳。)

◯「蒜」

ところで、話変わって、前出の長意吉麻呂の歌に出てくる「蒜」(ヒル)だが、これも古代人の調味料や薬味として重要な野草であった。

古くは『古事記』応神天皇の歌として、

「いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに」

と出てくる。“蒜摘み”を“草摘み”とも言った。蒜は臭い植物だからである。(食用にする匂わない野草を摘むのは“菜摘み”なのである。)蒜の栽培種は韮(ニラ)である。

蒜は、薬味や調味料というだけでなく、消毒解毒作用があり、また神聖視されていた。単に蒜と書く場合は小蒜つまり野蒜で、大蒜は忍辱(大韮)のことである。

記紀の日本武尊東征神話に於いて、「白鹿」に化けた地の神をヤマトタケルが蒜で打ち殺す話があるが、これも野蒜であろうと言われて来た。

これなども、蒜が霊力を持っている草と信じられていたからに違いない。

◯水葱と壬申の乱

また、水葱の話に戻す。日本書紀の天武即位前紀に於いて、水葱を歌ったものがある。それは、

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み吉野の 吉野の鮎 鮎こそは 島辺もよき え苦しゑ 水葱の本 芹の本 吾は苦しゑ  

(作者:未確認又は該当情報なし

出典:[日本書紀27]天智紀10年12月/中公文庫版『日本語で一番大切なもの』p.50)

「え苦しゑ」。感動詞「え」の用例。「吉野」の読みは「えしの」、「水葱」の読みは「なぎ」。

大野晋氏の解説によれば、これは、天武天皇が吉野に逃げ込んだ時のことを諷刺している。

吉野に逃げ込んでいるのはとても苦しいことで、いずれ良くないことが起こるだろうと云う意味だろう。「鮎ならば水のほとりの島辺に押し込められてもいいだろうけれども、私は鮎ではないから、こんな水葱や芹のあるところに押し込められて苦しい」。

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参考 ([日本書紀27]天智紀10年12月):

(以下その原文)

《十二月癸亥朔乙丑、天皇崩于近江宮。癸酉、殯于新宮。于時、童謠曰、》

十二月(しはす)の癸亥(みづのとのゐ)の朔(ついたち)乙丑(きのとのうしのひ)に、天皇(すめらみこと)、近江宮(あふみのみや)に崩(かむあが)りましぬ。癸酉(みづのとのとりのひ)に、新宮(にひみや)に殯(もがり)す。時に、童謠(わざうた)して曰はく、

《美曳之弩能、美曳之弩能阿喩、々々擧曾播、施麻倍母曳岐、愛倶流之衛、奈疑能母騰、制利能母騰、阿例播倶流之衛 其一》

み吉野の 吉野の鮎 鮎こそは 島傍(しまへ)も良(え)き え苦しゑ 水葱(なぎ)の下(もと) 芹(せり)の下(もと) 吾(あれ)は苦(くる)しゑ 其一

《於彌能古能、野陛能比母騰倶、比騰陛多爾、伊麻拕藤柯泥波、美古能比母騰矩 其二 》

臣(おみ)の子(こ)の 八重(やへ)の紐(ひも)解(と)く 一重(ひとへ)だに いまだ解(と)かねば 御子(みこ)の紐(ひも)解く 其二

《阿箇悟馬能、以喩企波々箇屡、麻矩儒播羅、奈爾能都底擧騰、多拕尼之曳雞武 其三 》

赤駒(あかごま)の い行(ゆ)き憚(はばか)る 真葛原(まくずはら) 何(なに)の伝言(つてこと) 直(ただ)にし良(え)けむ  其三

(岩波文庫『日本書紀(五)』p.64、p.390)

この記事は[[nouse: 大野晋・丸谷才一『日本語で一番大切なもの』引用文索引 (改)](http://yeblog.cocolog-nifty.com/nouse/2008/03/post_545a.html#d7ce_1)] (2008年3月1日[土]) の一部をなすものである。

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こういう時の童謡(ワザウタ)とは、無論子供の為の歌とかまして子供の詠んだ歌というのでなく、風刺のための(後世流の)狂歌というものである。

今は、目的外だから、三首の歌の詳細には立ち入らない。ここでは、「水葱の下、芹の下」として“香草の根元に逃げ込んでいて息苦しい”と比喩的に歌っているのである。水葱は芹と同様に“菜ではなくクサ”だったという事だ。

数々引用をして来たが、要するに、葱はナギとも読み、それは龢から来ているに違いない、という事を確認したかったのである。

※時に、一部禰宜の職分を上古に於いて“種子”と云ったという例が、大田田根子ほか何例かあることを、過去の天孫族考で言及した。だが種子はどうやら出雲族系の司祭であるらしい。一方で、天皇の和風諡号に出て来る“根子”の表現がある。根子は本来は天孫族の血統のものの筈だが、記紀編纂時には、(敢えて、万世一系を装うために)出雲族系と思しき天皇の諡号にも使われている。

姓(カバネ)的にいうなら,根っこ(根子)で殖えるのと種子(タネ)で殖えるのと二つの増殖法があるわけだが、禰宜職については種子の表現を使っていたのに、根子と云った例は寡聞にして知らない。根子という禰宜は祭祀王つまり天皇だけの呼称だったのかと思われる。

※なお、この次辺りには、①月氏三族が中国の史書にどう現れているのか?②匈奴の脅威を受けて四分した月氏はその後どうなったのか?---------ここらに焦点を当てて考究しようと思っている。→今度は相当硬派な話となろう。

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