「天孫族考」補遺6 ポプラとアブラカタブラ

「天孫族考」補遺6 ポプラとアブラカタブラ

蘇塗とは、そしてポプラの語源は?更にアブラカタブラの考察

☆蘇塗とは

蘇塗は、古代の三韓で、祭天の儀式を挙げる聖所であった。

蘇塗の語源説には、外と同じという説がある。というのは、蘇塗に立てる神竿と同様な物を村邑の外れに立て、そこが村邑の内外の境だというので、その竿柱によって外を意識するからソトという、と言うのである。しかしこれはどうも不思議である。何故なら村邑の中心で設けた祭天の聖所も蘇塗でありこれをウチというならともかくソトでは概念規定として成立しないと思うのだ。と、茶化して言ってしまったが、蘇塗が和語の外(ソト)を意味するとした場合の事だ。

ところが、これが冗談ではないのは、学者の中には蘇塗は外の事だと言っている人がいるのだ。蘇塗の位置は二通りある。

村邑の外れに境として立てられる物と、村邑の中に設けられた祭祀施設の二つである。(これらを結界説と聖域説と呼ぶ。)

また、これらは、元来別々の起源を持つものが習合したという説と、一方から他方が派生したという説の、二つの由来説がある。“蘇塗=外”説を唱える人は、どちらでも“外”でいいのだとする。結界説の場合は、村邑の外と内を結界するのであり、村の境界は外の始まる所だからだと考える。一方、村内の聖域の方は、村の平場が内であり、結界された聖域は物理的には村内であっても、そこは普通のムラウチではなく最早村人の支配から離れた外に当たるからだというのである。

分かったような、イマイチ納得のいかない説明だと思えてしまう。

私説では、“蘇”は脚(英語でのSoleと同根の言葉)で、意味的には、“礎”に近い。磐座に穴を穿ってそこに神竿と呼ばれる神の依代を立てたが、その脚部・基礎に当たる部分が、本来の蘇塗であり、そしてそういう祭祀施設全体(聖域)をも蘇塗と呼んだのである、と。

ではその蘇塗の“塗”(度)とは何か?これは卒塔婆の観念に相通するものなので、”塔“なのだという説明がしばしばされる。

しかし、塔というと、一種の構造物を意識してしまうので、むしろ“棹”(トウ、竿)では無いかと考えるのである。

この説に近い既存の学説では、蘇塗と表記されるが、実は元々鳥杆と書いてソトなのだとする。鳥を表す和語の語素にスがある。カラス、カケス、ウグイス、スズメのスである。これが半島ではソだと言う。そう言えば日本でもウソ(嘯鳥、鷽)とソで鳥を表す語素がある。鷽替神事の鷽である。

“トンド(唐土)の鳥が飛ばない内に”という囃子言葉があるが、鷽は唐→加羅の鳥だから、スではなくソなのだろう。

で、この場合、鳥杆の杆は梃子棒の梃テで、鳥杆=ソテ→ソトだという。尤もこの杆は操縦桿という時の桿と同語ながら、竿や棹でもあるので、私説の棹=トオにも重なってくる。

ところで何故鳥杆なのかというと、ソトではしばしば立柱の先に、拵え物の鳥形が乗っているからである。鳥は神の化身なので、立柱は神の依代だという事なのだ。

(竿先に鳥が留まるという形態は、我が国の鳥居も連想され、その意味では、南方系=呉越の少数民族系の習俗を連想させる。

柱を立てる祭儀は文化人類学では立柱祭祀と一括するが、

これの起源や伝来地は一筋縄では括れない。鳥の止まらぬ立柱は、西域やチベット、蒙古系にもある。またメソポタミアやヨーロッパにも分布している。しかしそこに鳥が留まるのは、今の雲貴両省の少数民族;鳥越憲三郎氏の云う処の倭族;の習俗に多い。)

そしてこの蘇塗に立てた木柱に使われた用材は、韓半島では恐らく杉や檜など真っ直ぐ伸びる木であったろう。

蘇塗の変形が諏訪神社の御柱である事はかなり知られている。

しかし、月氏の原郷であるタリム盆地周辺では、ポプラや胡楊が用いられたと想像される。

☆胡楊

今は砂漠化によって打ち捨てられたタクラマカンの古代遺跡には祭祀場と思しき場所に、削られて柱にされた胡楊が立てられている事例があるとのこと。これは、明らかに胡楊を天神の降臨の依代にしたものであろう。

ヤナギという言葉は楊(柔らかな木)+龢で「ヤワナギ」という概念があると考えている。龢は巫(カンナギ)で神を招き、呪詞によってニギタマ(和霊)へと靖らがせる事である。(本来は両禾を立てた内で神楽を奏でる事が龢、原字は「禾籥禾」。籥は笙や篳篥・笛などの竹管楽器ヤクである。)

同様にタリム盆地の崑崙山脈の北麓のオアシス都市や、山南のアクサイチンなどの高地では、ポプラを用いたのではないかと想像するのだ。

☆ポプラについて

但し、今西域地方で植っているポプラは原種ではなく、荒地にも強い北米種の苗を、人民解放軍の屯田部隊が、砂漠化防止策として、大量に植え付けたものなので、ほとんどが北米種の子孫になってしまった。だから、古代の風景とは異なるものだ。

とはいえ、タリム盆地の砂漠化前の胡楊や今のオアシス都市の輸入ポプラの成長振りを見ても、西域地域の土壌がヤナギ類の樹木の生育に適しているのだと考えられる。

胡楊もポプラも共にハコヤナギ属の木本である。

(因みに中国ではポプラは白楊樹という。

    ポプラ báiyáng【白杨】※杨 は楊の簡体字。)

ポプラpoplarの語源は、西欧でよく言われるが「popular」 と同系語で、高い立木列があたかも人々の行進列の様だから」というのだが、そのような駄洒落的なものではないと思う。

(とはいえ“尤も風”の説明では、「ポプラ」とは、ラテン語の「人々、共同体、国民」などを意味するpopulus ポプルス に由来し、古代ローマでしばしば公共の集会所の周囲に植えられたからであろう、というものだ。)

ポプラの原産地には諸説あるが、私はヒマラヤ地域説を支持したい。(欧州説、ヒマラヤ説、クリミヤ半島説などがある。)

プラの部分は、biRa=miRuで、太陽神ミスラの事だろうと考えている。そこの頭にポ(po)が付いているので、これをどう解釈すれば良いか? 今のところ正確には説明し難いのだが、私はpome =誉め、讃めなどで、pom-bi Ra は、“神を崇めよ!”“神の名を称えよ”、即ち回教のアラーアクバルやキリスト教のアーメンの如き、祈祷の言葉に因むのではないかと想像するのである。→これについては、後で考察する。

ポプラ柱が斎日壇の際に立てられて、ミスラの依代になり、柱その物があたかも降臨した神と一体的に観念されるので、これに“ポプラー”と神を称名(あがめ)る呪詞が発される対象になったのではないか?

と(いささか強引に)考えているのである。

そして、この蘇塗が単に柱の立つ聖所というのでなく、立つ場所が土壇(卓状)に一段高く整えられると、そこが斎日壇として日土杭rudok とも呼ばれたのだと思う。その“日土”は、今は旧ラダック王国の版図だった西チベットの阿里地域に地名を留めている。

さて、pom-biRa は“神を崇めよ!”ではないかと先述したのであるが、これをもう少し精査してみる。

☆アブラカタブラとは?

西欧・西亜でよく知られている呪文に“アブラカタブラ”という言辞がある。これは、祝詞として“神に栄光あれ”などの意味に使われる一方で、呪いの言葉にも使われ、また卑近な例では、マジックショーでマジシャンが術を仕掛ける時の呪文としても使われるので周知な言葉だ。

だから多くの人は、チチンプイプイ並の冗談文句と思っている人も多い。しかし、“アブラカタブラ”は文献上は既に2世紀に例がある呪詞だそうで、語源は定かでないというが、アラム語の呪文であるという説がある。アラム語は初期の聖書文なども語られた言葉であり、西アジアの古い宗教的な起源に由来すると考えられている。一見アラビア起源の様に思えてしまうが、イスラム教誕生より遥か以前の呪文である。

でこの呪文は、Abra +kHatabra で、元来二つの呪詞が連呼されたものと考えられる。Katabraは古い表現ではHatabraでkやcは二つの語を繋ぐ時に使われる接辞の一種で、Aが後続の口唇音b,p,mや破擦音s,sh,th 等に繋がる時の間に挟まれる;言語学でいう処のモーラ音素の一つであろう。

またHatabraも元はhata +braで、更にそれは同じくモーラのtが挿入され、有声化・長音化のaが入っていると考えれば、ha+bra 、パミール住民の月氏ではha→paだった筈なので、ha+bra =pabira で、この祝詞は先述したポプラの語源と同源である。

即ち“日の神を讃えよ”という呪詞なのである。

で、abra の方も実はa+biRaで同じく太陽神Raに向かっての呪詞である。AとかAhとかは、日本語の”仰ぐ“のニュアンスに近い神への敬いの呼び掛けであり、アーメンAhamenもまたA+Hamen で、Hamenはpamen;崇めよ、称えよ!という呪詞である。en は動詞化する接尾辞なので語幹はpam、和語での“讃む、褒める”というニュアンスになる。

※pamは西アジア語系ではham,han,hap などで、ラテン語の語素のhono(→honor,honest)と同系と考える。

だから先にpam +bira →pom +biRa→ポプラだろうと考えたのである。(mは後続のbに吸収される。)

モスリムのARah AcBaRuもまた”アラーの神を称名めよ!“

であり、私の考えではポプラーという呪文と同根であるのだ。

さて私がポプラの語源についてあれこれ言って来たのは、何もポプラをして特別にフィーチャーしたかった為ではない。このポプラの語源の考察を通して、パミールの語源とされる“pa-mi-Ru”の mi(th)Ra ;太陽神が、西アジアの言語によって、(恐らく月氏に於いても)bi-Ruとなり得る事の傍証を得たかったからである。

そして“pa-mi-Ru”は(miを→bi とする民族にあっては)

”so-bi-Ru”となるので、これが“聖なる崗”;so-pi-ru→

sophuru→Seoul(ソウル)→曽冨理の語源である事を想定したのだ。(paはpede =sole で共に脚部、足を表す言葉。)

そして、漢民族が、羌族に混住した小月氏一部族として葱茈羌としたのも、また「葱茈琉羌」の略語と思われる婼羌ruchan の後裔がチベットで建てた国「蘇毗」sunpaもまた“曽冨理”に所縁のある語彙だった事を説明しようとする一貫である。

※ところで、立柱祭祀と言っても、伐り出した木材の端の場合と生の立木(生きている樹木)の場合とがあり、そこには違いがあるのではないか?という意見もある。同類視する見解も無論ある。

さりながら、我が国や、雲貴高原の少数民族のように、生きている樹木を信仰対象にしている例は少なくない。大概は、複数の樹木があって森林を成している場合も、ある特定の木が聖樹・御神木として信仰対象になっている。

また樹木でなく石や岩とか煉瓦製の柱・石柱が祭祀の中心になっている場合もある。(人工の立柱である。)

更には空想上の聖樹や宇宙樹の様な、現実の目には見えずただ頭脳内のみに存在する柱もあるのだ。

太陽が生まれる場所だという東方の扶桑樹などもその一つである。柱でなく円錐型の島が信仰対象になる事もあるが、これも立柱祭祀の変形であろうか。

さてここからは、私の想像の中での話なのだが、ポプラは月氏の祭祀の中でどう機能し得たか?を考案してみた。

高いポプラは、南中する太陽で、その日の最も短い影を作る。その影の先端に行けば、樹上に日輪が輝くのは当然である。

私は、その南中影の先端部に、東西方向に設けられた祭壇が斎日壇だと想像している。

東は無論、日昇を迎え、西は祭壇に向かう背中から夕陽が照らす。

南中影の先だからそこは日下壇である。西チベットに残る日土の地名は、この日下壇に因むものだと推理している。

日足壇=日礎、日蘇(蘇毗);日壇=日土という概念か?

蘇塗は蘇土にも通じる。

人々はその祭壇の周りに集まり、太陽神を讃えてポプラーと唱和する。この集まり(の場)がポプラ斯である。

処で、西洋ではポプラはラテン語のpoplus =人々の集まり から派生したとの解釈がある事を先に言及した。即ち、人々の集まる所・集会場によく植えられていた木だから、それをポプラと呼ぶ様になった、というものだ。

だが冷静に考えれば、これは逆だとしか思えない。高い樹木のポプラがあるからこそ、それを目印にして人が集まって集会場になった、という方が自然であろう。つまりはポプラが植えられている所に人々が集まりpoplusの語が生じた。(population もその派生語である。)

ミスラ信仰が、小アジア→ギリシャ→ローマと西遷して、いわゆるミトラ教が生まれたというのが通説であるが、この時にポプラの種子や育樹も一緒に西遷したのではないだろうか?

この事で、ポプラの原産地が、小アジア→クリミア;ギリシャもしくはイタリアという説も生むことになったのだろう。

またギリシャ・ローマでポプラが集会場の目印になった事で、先述の語源説が発想されたのだと思える。

命名の由来というのは、往々にして常識を覆す事がある。

一例として、ブラジルウッドを挙げたい。

ブラジルウッドとは、ブラジル特産の、真名はペルナンブコ(フェルナンブーコ)という樹の木材である。これは南方の樹木でありながら、材質が硬くしまっているので、伸縮が小さいから、弦楽器の弓(スティック)に使われるほか、拳銃や小銃の銃把や銃架に用いられる。だからかつての西欧では、大変に貴重視された。近年、ブラジルの樹林の乱伐や火災でその成育が危機を迎えている。

このペルナンブコの木が、ブラジル特産であるので、ブラジルウッドという風にも呼ばれていると、普通誰しも考える。ところが、そうではないのだ。この特産のブラジルウッドが取れる国だからブラジルという国名が付いたのだ。

ブラジルとは、ポルトガル語で赤いを意味する。恐らく英語のブラッディと同根のものかと思われる。

実際ペルナンブコの木質は赤いのだ。つまりブラジルウッドとはブラッディウッドであり、それを特産する地域だから名がブラジルとなり、その後、国名にまでなったのだ。

今そのブラジルウッドの特産地域は、その名もペルナンブコ州となっている。

This blog post is actually just a Google Doc! Create your own blog with Google Docs, in less than a minute.