「天孫族考」補遺5 その2-1

「天孫族考」補遺5 その2-1 月氏の後裔について

ところで、(7)に言及した月氏の後裔民族について、もう少し

考察してみよう。

☆ 婼羌と西蔵地方の女王国及びラダック等

◆NHKで「シルクロード」の再放送があった。

4Kデジタルリマスターで、凡そ40年前に放送したNHKの

ドキュメンタリー「シルクロード〜私綢の道」が再放送され

ている。2020/09/02は「西域南道」の特集回だった。

その南道の最初のオアシスとして若羌が出て来た。当時取材に

同行していた井上靖はこれを日本的に“ジャクキョウ”と読んで

いたとの事だが、番組内では“チャルクリク”と紹介していた。

目下は新疆ウイグル自治区バインゴリン・モンゴル自治州の

チャルクリク県である。

そのチャルクリクとはウィグル語の読みであろう。だが、漢字

表記はそのまま“若羌”で、これは簡体字が導入されてからの

表記で、1986年までは“婼羌”だったという。

中国の読みでは、“ルウチャン”である。(だが、今やウィグル族

を抑圧し、漢族を大量にタリム盆地に移住させている中国の事

だから、いつ迄ウィグル読みのチャルクリクのままでいるか?

また元の読みのルウチャンに戻るかも知れない。

多分漢族は、そのまま漢字読みを続けているのではないかと

思われる。NHKがその番組の取材をしていた1970年代は、

未だ少数民族の文化・宗教を尊重していた時代だったようで、

この番組シリーズの中にしばしば登場するウィグル族は一様に

明るい顔をしていた。勿論、同行した中共要員の手前もあった

であろうが。)

☆ルウチャン 若羌

この地名は今でも、タリム盆地の南・崑崙山脈の南麓に残って

いる。上述の西域南道のオアシス都市の名前でもある。だが、

かつてはもっと広域の地域国家だと見られた。(今でも若羌県

は自治区最大の面積を有するというがそんなものではない。)

ルウチャンとは、崑崙山脈の北麓から南麓の盆地高原地帯・

いわゆるアクサイチンまでを含む地域にあった部族国家で

ある。その西南部の青藏高原の青海湖南部に広がっていた羌族

と東部では混住していたので、チャン(羌)族の一種と見られて

婼羌の名で呼ばれた。

しかし彼らは、河西回廊から南征して来た後漢の軍勢に対し、

羌族と共にしばしば戦闘し、戦死者を出しているのだが、

婼羌族の戦死者は“月氏の死者”という扱いを受けており、

別カウントされている。これは、月氏の戦士は強いので

特別視されたのだろう。つまり若羌は本来は月氏であったと

いう事でもあるのだ。

☆ 婼羌国 とは葱茈羌ではないか?

(昨今の”若羌“の原表記は”婼羌“だった。)

和田の南東山地にあった“婼羌”国 は、どうやら羌族と混住

した月氏の一部らしいと推測できる。(但し婼羌も小月氏

の一部なのか、小月氏とは別の存在なのか迄は分からない。)

後漢の時代、羌族は度々反乱を起こすのだが、この時討滅された

のが、月氏兵四千人とされており、これは小月氏と婼羌の

両方の兵を併せた数であったかも?と推理されるのである。

つまり、そこでは羌族プロパーとは別勘定されているのだ。

(この羌族の反乱に際して、あの趙充国将軍の「百聞は一見に

如かず」の有名な故事が生まれたのである。)

中国の百度では、「若羌(これが今の地名表示)で良いのに、

わざわざ女偏を付けて婼というのは、女王国であったから

だろう」としている。

また婼羌国は羌の一支族で、黄牛羌や白馬羌と同様だとも

言っている。

羌族には十余の支族があるが、その内例示された黄牛羌や

白馬羌は共に小月氏で羌族に同住した支族である。

そうすると小月氏の3氏族の内、黄牛羌や白馬羌でない葱茈羌

が、婼羌と同じか、その一部であるかの可能性が高い。

そして、中国の史書に依れば、“葱茈羌もまた母系制だった”と

いう。

婼の字には、ジの発音もあるようなので、葱茈を葱蒜の

誤記とすればソウジと読めるので、類似度が高く見える。

蒜羌が婼羌と同義(もしくは原義)かも知れないのである。

また婼羌を、チベットを記述する別の古文書では蘇毗族と

言っているので、蘇毗羌なら葱芘と音が重なる。

但し婼羌はRuo Chan だというので、婼はルォの読みが古音

であるらしい。

中央アジア祖語でRuが太陽を表す言葉なので、婼羌とは日羌

即ち日辰崇拝を持つ一族なのではないか? もっと言うなら、

若の字形を含むので日子羌なのかも知れない。日子族?

すると、ここももう一つの“日ノ下”であった可能性がある。

この婼羌の存在は漢書の記載なのであり、漢の時代には

既に和族は日本に渡来していたか加羅に居たかの頃だから、

婼羌は東遷した小月氏の仲間に入らずに、崑崙山地に

守られて匈奴の侵略から逃れた残存部族だったのではない

だろうかと推理する。

そして漢書に依ると、婼羌は農業はせず、穀物は西域南道

沿いの且未国から購入していた、遊牧民の国だという。しかし

その特徴は、崑崙から産出する鉄鉱石を精錬して鉄器を製造

するに長けた国であったというのだ。とすると和族の様に、

バラモン中心の国ではなく、製鉄民=バイシャや、漢との戦闘

に及ぶ様な戦士=クシャトリヤをも有する、後の大和王権の様

な三族協和の国だったかも知れない。また鄯善(楼蘭)文書では、

しばしば山地から出現して精絶國(ニラ)を侵略したとも言って

おり、野蛮ともいえる様な精強な兵を持っていたようだ。

この婼羌の事はもっと考究が必要だろうと考えている。

なお婼羌国の王号は去胡来王というらしい。キョコライ

とは何だろうか?(サックルか?) 胡地を去ってその地に渡来

した王、という意味合いなのか? 胡人はソグド人を指し、

広義には西域全体の民も指す言葉だ。

三国時代以降は、チュルク族が南下して来て、タリム盆地周辺

もほとんどが(後世のウイグル族時代同様に)チュルク化した。

この漠北からのチュルクの南下の影響で、婼羌も東の羌族の

地・青海路方面に逃れるなどしたのだろうが、一部は南下して

アクサイチン南部から班公湖方面に逃れ、そこで建てたのが

日土国Rutok ではなかったろうか?と推測する。

この日土は、後に進出したチベット族により、ラダックLadak

王国の一部となるのである。

更に南まで行った者達がシャンシュン(象雄)国を建てる。

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☆アクサイチンとは?

月氏の原郷は、低地型の氏族即ちタリム盆地のオアシス都市に

住む人々の地帯と、パミール高原の高地型氏族の地帯とに

跨っている。

この高地氏族が、崑崙山脈の南麓の高地高原地帯、つまり後世

トルコ系民族からアクサイチンと呼ばれた地帯にまで拡がって

いた。それが婼羌の源流である。

従って突厥がアクサイチンと呼ぶ前の原語名が何かあった筈

である。

アクサイチンの原語は日垂子Ruosaishenルオツァイシェン

という様な名称では無かったろうか?

(或いは日辰子RushinChi辺りかも?)と、私は幻想する。

※Ru,Re,Ro とは中央アジアでは太陽神を表す言葉である。

エジプト神話ではRa、アラブではアラーAllāhとなる。

ギリシャ神話でもアポロApolloである。

(チベット以西は複流音地域なのでR←→L。)

日辰はRushinであろう。

和田玉の取れる崑崙山脈がタリム盆地との境部にあり、これは

震玉(シンタマーニ、辰日摩尼シンカマニ)つまり「如意宝珠」

という月氏龢族の宝器を連想させる。私の唱える擬宝珠つまり

葱坊主という龢族(即ち葱韮族)の神印である。

そして「日土」Rutok という地域がアクサイチンの南部に

ある。今はチベット自治区ガリ地区の日土県である。

このRutokが、後に西蔵高原西部に進出したチベット族の

建てた国ラダックLadak(の東半)に成る。ラダックの首都は

レーLehだが、これも光線Ray を連想させる。

(RとLの発音は、複流音地域の西欧では厳密だが、単流音地域

の混在するアジアでは先述の如く必ずしも厳密ではないのだ。)

ラダックは西蔵高原にチベット族が進出してからの蕃国だが、

この地域には、チベット高原先住民族の建てたシャンシュン

(象雄)国があった。ほぼ今のチベット西部からカシミール東部に

懸けての版図を持ち、従って後世のラダックとほぼ同様地域

を支配した国である。そして、そこの宗教は、仏教渡来以前の

ポン教(もしくはボン教)とされている。後世ポン教は仏教と

習合してしまい、今に残る伝承類も甚だ仏教的なものになって

しまったので、原型を考定する事が難しいようだ。

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一方、隋書にはチベット東部には東女国があったという。

 →以下、補遺5 その2-2へ続く

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