「天孫族考」補遺5その3 月氏の後裔について(続々)

「天孫族考」補遺5その3 月氏の後裔について(続々)

この蘇毗の流れこそいわば「中月氏」とも言えるのではと

思える。無論大中小の中ではなく、東(小月氏)西(大月氏)の中間

に位置するという意味合いであるが。

と述べたのであるが、

そこで改めて、月氏とは何か?を再確認しておこう。

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☆月氏は肉食氏なのか?

ところで漢書に登場する大月氏国、またその元たる月氏だが、

大月氏国は従来言われて来た説の大肉食(ルーシ)国ではなく

本当は大日辰国ではないか?と近頃は考えるようになった。

“月氏(月支)とは“肉食する民”で、月は天体の「月」ではなく、

ニクヅキで漢字の部首になった肉の字の簡略形だ”という解説

が従来なされて来た。(臓や筋などの部首が月であるが、腐では

そのまま肉の字形が使われている。)

しかしこれは、中国人が、西域の民である月氏と接触した際に

「自分たちはルーシと言い、天体に因む呼称だ」と言われ、

「そうか!肉食の民だからルー(肉)シだろうが、その因む天体

とはニクヅキの字母と同じ“月”という字を指していると言って

いるのだろう。では彼らはルーシ=月氏と呼ぶべきだ」と理解

したからではないかと思う。

しかし実は彼ら月氏は「自分たちはRuShi=日子なのである」と

言ったのではないか。従来も月氏は月支とも書き、月氏自体で

一つの民族名であり、彼らを一つの部族と認識した場合は、

例えば北周の宇文氏というが如くなら、月氏氏とするのがより

正しいとは理解されて来た。だから部族でいう時は月支氏とも

書き分けていたのだ。だが月氏と表記されるので、あたかも

月ゲツが民族名であるかの様に誤解されて、月氏でゲツの氏族

の意味かと錯覚されて来てしまったのである。

(後世の中国語ではユエシーとかユエチーになる。)

漢民族から見た時、蛮夷西戎の一民族である筈の月氏が何故、

月という雅字を充てられたかといえば、無論漢王朝が匈奴を

宿敵と見て、同じく匈奴の脅威に晒された月氏国を、「敵の敵

は味方」という事で友好的に捉えたからとか、また月氏の文化

が東西交易の結果で、漢と同等以上にレベルが高いという認識

があったからではないか、とか言われる。

だがこの月氏というのはあくまでも中国王朝から見ての呼称で

あって、(匈奴と呼ばれた民族も自称は弁那=フンナだったろう

といわれる様に)自称はRushi日子だったと、私は解釈する。

だから氏族名としては月支氏ではなく日子氏だったのではない

だろうかと思える。

またラダックの元の日土Rudoc も日降Rukdari、即ち日下なの

かも知れないと妄想している。

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☆象雄(シャンシュン)国

その後も、シャンシュン王国やボン教について資料を漁ると、

大略次のような点に注目した。

1)首都が聖山カイラス山の山麓の谷間にあった。

2)建国伝説では、三人の王子が登場する。

3)民族のルーツはタジークにあるとの伝承を持つ。

聖山崇拝は、天山崇拝と共通であるし、建国に三人が関わると

いうのは月氏の三部族構成と同じである。またタジーク即ち

パミールを原郷とするのは月氏である。

そして女王国だというのも、同系の民族だと推測される。

ところで、ドイツのナチの親衛隊がアジア文化研究所を作って

チベットに探検隊を送った事は半ば伝説化しているが、その

来訪地こそ、実はシャンシュン王国の故地カイラス山の周辺で

ある。この谷間の洞窟をボン教の僧侶に案内させて、古文書を

漁っていたという。

彼らが探していたのは、ここにアーリア民族の原郷があって、

残された古文書の中に、アーリア民族の世界支配を正当化する

文献的根拠を発見しようとしていたのだ。

因みにボン教の印章は、仏教の卍字の逆転した左マンジで

あり、即ちそれがナチの鉤十字の元になったのである。

これらは親衛隊長官のヒムラーが、ナチをバラモンに、そして

ドイツ国防軍をクシャトリアに、ドイツ民族をバイシャに位置

付けて、侵略したフランスなどの周辺国を奴隷スードラとする

という、ゾロアスター教の階級観を支配原理にしようとして

いたからだ。この延長下にユダヤ人の不可触賎民視があった。

歴史を逆転して使おうという反動は常に人倫に悖る。

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チベット高原は、唐末には吐蕃が席巻し、吐蕃王がラサの仏教

権威と提携することにより、チベット仏教王国となっていく。

これがチベットの中世前期になる。(元の征服後、明代の小領主

割拠の時代が、日本の室町〜戦国期に相当する中世後期。

そして清朝の再征服以降が近世となる。)

ところが、現在ハプロ遺伝子構造は、チベットと日本とに、

他の民族とは一線を画す共通性がある事が指摘されている。

チベットも先住民族に吐蕃(チベット族)が被さって成立した。

吐蕃は鮮卑の一支族だといい、ならばモンゴル系である。

日本は先住民族である縄文族とその後裔の弥生族に、渡来した

出雲族・秦族・和族が被さって成立した。

この重畳構造の中に、チベットでは先住民族蘇毗族に、そして

日本では渡来氏族に、共に同様なハプロ遺伝子抗体を持つ者が

いたと考えられる。それが両者に共通する月氏の有していた

遺伝子であろうと、私は推理するのである。

 

 

 

 

 

 

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