「天孫族考」補遺4 胡公頭と倭人の冠帽
「天孫族考」補遺4 胡公頭と倭人の冠帽
胡公頭
”胡公頭,一本作“ 胡頭 ”。《南史·夷貊傳下·倭國》:“富貴者以錦繡雜采為帽,似中國胡公頭。”一說,為套頭或假頭,即古之“魌頭”。
參閱 任半塘 梁書 東夷伝、倭
地温暖風俗不淫男女皆露新富貴者以錦繍 雜采為帽 似中國胡公頭 食飲用遵豆 有棺無槨 封土作冢 人性皆嗜酒
※つまり倭人の貴人は絹織物の帽子を被っているが、これは胡人の貴族の帽子に似ている、という のだ。倭人は東夷でありながら、その貴人は西域の人を連想させる帽子を被っていると言う意味だ。 貴人の胡公頭は最下に掲げた図のような正装風の例もあるが、素朴なものはいわゆる酔胡面の様な烏帽子型の物 であったかと想像される。
西域でも、唐代の焉耆ではマニ教が広まっており、その神官などは丸みを帯びた帽子を被っている。
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胡公頭についての考察
倭人の貴人が胡公頭を被っていると言う記述は、梁書での 記述である。 「梁書」は、629年(貞観3年)に姚思廉が完成させたもので ある。これは官選の史書ではなく、司馬遷の史記と同様な 私撰史書だと言われるが、その大部分は後に官選史書「南史」 にも採られている。 元来は、姚思廉の父である陳の姚察が書き始めたが未完のまま 没したので、息子が隋代から唐初にかけて書き続けて完成を 見たものである。 私撰とはいえ、その内容の完成度は高いとの評価がある様だ。
姚氏父子の活動時期からして、彼らはそれ以前の「宋書」等 を参考にする機会はあったと思えるし、事実上その梁書の 倭国に関する記述の中には、明らかに三国志・魏書などの引用 と考えられるものも多い。
それら先代の史書類では、倭国に於いても身分差があった事の 記載はあるのだが、風俗として身分の高いものの髪型について は、成人男性では両耳の後ろで束ねているという記述しかない のであった。(それが後世ミズラと称する髪型である。) 貴人が帽子を被っているという記述はこの梁書が最初である。
と言う事は、魏志倭人伝や倭国の風俗についての記載と明白に 異なる情報を、姚氏が何かから入手したとしか考えられない。
隋の時代には、煬帝によって倭国への使いとして裴世清が派遣 され、無事に帰国している。すると姚思廉はこの裴世清自身 からか、或いは間接的に裴世清の報告書辺りから、倭人の貴人が帽子を被っている事、そしてその形状は中国で“胡公頭”と 称される西域人の帽子に似ている、との二つの情報を入手した のだろうと推測されるのである。
この事を、さらに考察すれば、以下のような推理が導かれる。
その1; 裴世清の訪問したのは推古朝の事だ。そこでは、古の 倭国や邪馬臺国時代と違い、貴人は帽子を被っていた。 (実際に推古朝では、俗に“聖徳太子”の治世として冠位十二階 の制が定められたという。) つまり、前代=三輪王朝時代までは無帽だったのに、河内王朝 〜飛鳥王朝期以降に、貴人の冠帽の習慣が生じた事になる。
姚思廉は宋書などの記述で、倭の五王という時代があった事を 知っていたわけで、私説では五王の時代即ち河内王朝は、山門 にあった倭人の連合国である大倭を、和族(天孫族)が征略して 九州から日下国を遷したと考えるので、冠帽の習慣は和族の ものだと推理するのだ。
その2; しかもその帽子の形状は胡公頭に似ると言っている。 隋代から初唐にかけての西域は、丁度漠北からチュルク系の 騎馬民族が南下して来た時代である。 太宗から高宗の治下、西域へは何度も唐に臣従する西域諸国 への救援軍が派遣された。
だからこの時代の胡人とは、侵入して来たチュルク系か、元々 タリム盆地から青海路方面に居た西域人、即ち月氏の残存国か のどちらかを指すと考えられる。(実際に、唐の援軍を得て、 南侵するチュルク人と戦ったのは、昭武九姓と言われる諸国や 焉耆国であり、これらは全て月氏の末裔である。)
しかしわざわざ胡公と称しているので、侵略者であるチュルク ではなく、旧来の月氏系の西域貴人の事であろう。
その月氏系胡人の貴人が被る帽子と、日本の貴人の帽子がよく 似ている!と言っている事は重要である。
私は、和族は月氏のバラモン氏族である葱芘族だと考えている からだ。(昭武も葱芘が訛ったものと考えて来た。)
※写真は、中国人が想像した胡人の王侯貴族の冠帽姿。
三輪王朝も、月氏の一部族である黄牛族=出雲族が先住の倭人の連合を組織して支配下に置いて成立した国だが、そこでは 先住の海人族や縄文族の風俗が踏襲されたと思われる。(ただ 祭祀形態だけが、東アジア風のシャーマニズムになっていた のだろう。) そこへ九州の狗奴国=久我国=日下国が太陽崇拝のバラモンで ある和族の王族に率いられて東征して来たのである。
胡公頭は、月氏葱芘族から継承して来た風俗と考えられる。 和族は、葱宝珠形の冠を被り、また葱韮などの野草の食習慣があったと考えられる。