第3章 葱茈族とは何か?
第3章 葱茈族とは何か?
秦末漢初の激動期に、蒙古高原では匈奴が強勢となり、
西方では天山北部からタリム盆地にまで征略の足を伸ばした。
この為、タリム盆地に居て、複数の都市国家を作っていた月氏
の主力は、そこを追い出されて天山北西部のイシクル湖の南に
西遷しそこに連合国家を建てた。これが漢書に名高い大月氏国
である。一方、タリム盆地の東部敦煌・楼蘭などや崑崙南麓の
月氏は、青海高原方面に逃れて先住の羌族に混住し、その部族
になったがこれを小月氏と(中国では)呼んだ。
三国志魏志東夷伝には(また魏略にも)、
「燉煌西域之南山中,從婼羌西至蔥領數千里,有月氏餘種
蔥茈羌、白馬、黃牛羌,各有酋豪」と書かれている。
蔥は葱の古字である。蔥領は葱嶺であり、パミール高原を指す
言葉である。この内婼羌は西羌の部族名でありながら、
その所在する都邑の地も意味し、そこからパミールまでの
数千里の広大な領域に月氏の余種である三族がいた事を表して
いる。(南山は崑崙山脈の事である。)
後漢書西域伝には“葱茈羌”と表記されている。
私は、一般的な葱茈の表記を用いる。
そこで葱茈をどう解釈するか?である。
茈は一般には本草学等でのムラサキクサ(紫草)の事とされる。
茈の声符「此」は紫のシと同音である。だから普通の場合、
葱茈はソウシと読まれた筈である。
紫草の根には薬効があり、また紫根染めに用いる染料材として
有名である。
紫根から採れる薬剤は紫草素という抗炎や解熱・解毒など多数
の効能が知られている。ドイツ語ではボラギノールという。
我が国でも、万葉集に「茜射す紫野行き標野行き野守は見ずや
君が袖振る」の標野(注連野。禁入地、恐らく王家の御料薬草
採取地)にあったとして知られている。
古代において、東アジアからエジプトまでユーラシア全域に
紫の染料用として栽培が広まっていたようだが、原産地は
中央アジアとされ、実際に今でも新疆紫草が最も効能が高いと
漢方で珍重されているので、西域南部高原地帯にも紫草=茈が
自生していたとしても不思議ではない。(紫草は紫蘇属)
茈のもう一つの候補は、“花葱”という邦名のあるアリウムで
ある。花葱というが、ネギ科ではなく彼岸花科の植物だが、
葱状の葉を有し、また華穂は葱帽子よりも毱状で丸く、紫色で
タンポンの様な形である。この花葱もまたヒマラヤ北麓高原が
原産地と言われ、葱嶺にも多数自生していたと思われる。
但し、花葱は華穂が観賞用になるが、食してもネギの様に美味
ではない。つまり食用には適さない。
茈が紫草か花葱のどちらかであるとすれば、茈の自生地は、
新疆南部高地となろう。
だから葱茈族というのは、葱類の自生地=葱嶺から茈の生えて
いる新疆南部高地に蟠踞する種族という事になる。
この場合、葱茈は単なる地域を表す言葉になる。
しかし、他の黄牛族や白馬族が、それらの動物をトーテムと
しているのと比べ、命名の原則に落差があり、揃わない。
とすれば、葱茈族もまた何か葱茈の意味する物をトーテムと
していたのではないか?と推理されてくる。
それは華穂の形状が宝珠の形になっている事だろう。
宝珠とは仏教伝播後の概念だが、古くはチンタマーニとして
中央アジアでは神の象徴と見做されていた。
葱坊主というが、それは葱宝珠であり、擬宝珠なのである。
葱宝珠というのは、ナギ=龢という状態で、聖職者によって
荒神が鎮められた事態をいう。そういう聖職者がカンナギ=
巫覡なのである。
仏教伝来後にはこのニギタマ(和魂)の状態を未開蓮、即ち蓮の
蕾とも見做した。
月氏のバラモンは恐らく葱宝珠状の冠(帽子)を被っていたので
はないかと想像される。そういう巫が禰宜なのだ。禰宜は、
イラン起源の聖職者の呼称・マギ-バラモン(魔儀婆羅門)の
マギに由来する。マギが荒魂を鎮めて掌に包み込んだ状態が
つまりオニギリ→饒である。また荒神の吹き荒れる風の凪いだ
状態が和ぎ、龢である。これらは全て魔儀から派生した概念だ
と思われる。更に葱を神聖植物バルソムと見ていた。
この解釈では、茈は紫草でなく花葱の方を意味するという風に
解釈せざるを得ない。華穂が球状なのは花葱(アリウム)の方
だからである。
だが茈を別の読み方、サイとしてみると、他の解釈もできる。
此を会意形声文字の声符とすると、シとサイの二つがある。
タリム盆地南側、崑崙山脈の南の高地はアクサイチンという。
アクサイチン(阿克賽欽)は突厥語への音訳だといわれている。
勿論それを更に漢訳したのが阿克賽欽という漢字表記である。
では、その元の(恐らく、それ以前の先住民である西羌の)言葉
は何だったのだろうか。
アクは何かの意味の形容語であろう。
サイチンの方は、サイ羌だと考えられる。この辺りの羌族を、
後漢から南北朝時代には婼羌ルウチャンと呼び、それが
後にウイグル語でチャルクリクと読まれるようになった。
クリクは漢字で克里克=里、郷。チャルは強いという形容詞だ
という。(チャルメラのチャル;強鳴のメラ;笛。)
チャルクリクは“精強な(民の住む)里”の意味で、婼羌が後漢の
西征軍に強力に抵抗して怯む事が無かった!との故事に依る
のだそうだ。
※因みに、ルウチャンの呼称の謂れだが、一般的には月氏羌。
月氏は中国人は肉氏ルーシと解釈していたので、月氏羌は、
ルーシチャンだが、氏をとって肉羌族ルウチャン族と呼んだ
のだと考えられる。肉羌族は単に肉食の民、というより何か
強そうな意味合いが感じられるのだろう。
肉は月氏語では実はルーではなくニョク(和語のニクの原)で
彼らはニョクシャンの様に自称していた可能性が高い。
それ故に漢訳で若(ニャク)羌と漢字表記されたのだろう。
なお、婼の様に女偏が付けられたのは、女系国だったから
だと中国の史書は説明している。
突厥もウイグルもチュルク系民族であり、突厥語のアクが、
ウィグル語のチャクだと考えられる。
そうすると、アクサイチンはやはり“強いサイ羌”であろう。
そうならば、サイ羌は西羌か(葱)茈羌のどちらかかと推理が
可能だろう。西をサイと読むのは余り中国風でなく、やはり
シーチャンであろうから、ここはむしろ茈羌の可能性が高い。
つまり、アクサイチンは精強なる茈羌族という事になるのだ
ろうか? この場合なら、葱茈族はソウサイ族となる。
これでも葱茈というのは、葱嶺パミールから茈の(生育する)地
(=アクサイチン)までを含めた広域の現地名の漢訳ではないか
と考えられる、という風になって来るのだ。
これは、茈をシと読まずにサイと読む事で成立する推理で
ある。此を声符サイとする他の漢字には柴が挙げられる。
柴胡という薬用植物がある。小柴胡湯の原料にする物で
自生種は北柴胡といい、今では満州柴胡が有名だが、胡の
字が付くことから西域にも自生していたかも知れない。
茈は柴胡である可能性もある。
この事から葱茈の由来に別の可能性がある事を思いつく。
この小月氏葱茈羌族の住地と思われる地域にチャイダム盆地
がある。ツァイダムとも。中国では「柴達木」と書く。
中国、青海省北西部にある盆地で、塩湖・湿地が多い。
で、このTsaidamはモンゴル語で塩の意だという。
この盆地は、河西回廊と並ぶ西域への通路となっている。
今は青海路と呼ばれる。
ツァイ+ダムだと考えれば、茈+達木。この地域には、大小の
柴旦(ツァイダム)湖もある。柴→茈。柴旦湖も塩湖である。
この解釈でも、葱茈は葱嶺から茈達木までの範囲をいう
広域名だろうと考えられてくる。
と云う事で、葱茈族をソウサイ族と云うとしても、葱嶺から
アクサイチン〜柴達木までの高地の部族の名だろうとなって
しまうのである。この場合その高地の総称は葱茈高原となる
筈だが、こういう名称は文献上登場しない不思議さが残る。
但し、この様に考えて来ると、葱茈族は、単に分布住地の
地域名に依るものでしかなくなってしまう。
やはり小月氏の他の二部族である黄牛族と白馬族と比較して、
命名にギャップが感じられる。
先に指摘した如く、黄牛にしても白馬にしても共に両部族の
トーテムに基づくと考えられるからだ。
ほかの解決策は無いのだろうか?
そこで思いついたのは、葱茈をソウシではなく、ソウジと
読んでみたらどうか?である。
というより月氏が葱をネギと呼んでいたとするなら、中国には
鼻濁音が無いので、ネジとなってしまうと考えられる。
ネジの音訳が葱だが、それを二文字書きにして、葱茈としたの
ではないか?との疑いが出てくる。
この場合は茈はジ音を表すだけのいわば接辞になってくるの
だが。
もう一つの考え方は、同じくソウジと読むが、本来は葱蒜で
あったのではないか?という着想である。蒜は通常の音はサン
だが、これは算木の形状に似た草生だからである。つまり韭、
即ち韮に他ならない。
で示二つの並びはこの草生の象形の変体だろうが、示を声符と
すればジとなる。言うならば、葱蒜(ソウジ)→ 葱茈の略書と
なり、葱蒜=葱韮で、和語ではこの二文字でネギと読む事が
ある。本来は葱韮はネギ科植物の総称=蒜なのである。
という思考過程を経て、私は葱茈族はひとまず葱韮(ネギ)族
と解する事にしたのである。
それは、先述の推理から「葱韮(ネギ)族は実は龢族である」
と考えたからなのでもある。
(実際には、葱茈は葱芘の誤写だったかも知れないという
可能性が出てくるのだが、その検討は後の、再考察の折に
送る。)
そして三族の中で最も高位にあったらしいのが葱茈族
のようだ。というのは恐らくタリム盆地に居た時にも
葱茈族が月氏国の王を出す部族だったからではないか
と思われるのである。
元来の月氏族にもこの三部族だけがあったのか?
或いは大月氏に逃れた部族には獅子とか虎とか熊とか
狼等をトーテムとした別の部族があったのかどうかは、
分からない。