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天孫族考番外「ハザールはユダヤ人ではない」
◯ハザール人の系図
昨今、ハザール人を、ユダヤ人の末裔だとする系図を掲げている人を、Facebookの「古代史研究会」のフォーラムで見かけた。
しかしこの系図の“元になっている系図”は、いわゆる“偽系図”だとする識者が多数いる。私も同感である。
“元になっている系図”というのは、紛らわしい言い回しだが、それは元来PR効果を考えて英語版であったのか?もしくは信憑性を高める為にかユダヤの言語(イディッシュ語、あるいはヘブライ語)で書かれていたのかもしれない。でも一般に流布したのは、当然ながら英語版であった。
Facebookに掲げられたのはその邦訳版であろう。
(偽系図だと批判されている図は、ハザール人をユダヤ人の系統図に組み込んでいるような系図のことである。)
でそれは、情報通の知人によれば、イスラエルの情報宣伝機関が流しているものだと云う。同国の情宣機関は、表向きの外務省広報部門の他に、戦略問題省が専ら裏工作を担当しているようだが、モサドを頂点として、同国の情報組織や情宣広報組織については、外部からは不透明である。
どうして同国の情宣組織が、先述のような“偽系図”を作って世界にばら撒いているのかと言えば、この「ハザールが如何なる民族か?」というマターは、イスラエル国家の存在の正当性に関わってくる大死活問題だからである。
ハザール王国(7世紀〜10世紀)は、黒海北岸(現在のウクライナ東部)とカスピ海の辺りにかけてかなり広大な版図を有した国である。
[※カスピ海は現在のイランのカズウィーン州の名と同語源のカス(ピ)族がこの海の南西部に住んで居たことに由来する。しかし古代末期には「ハザールの海」と呼ばれていた。今でもペルシャ語とトルコ語では“ハザール海”と云う。我が国では英語版地図に準ってカスピ海といって来た。]
学者によってはハザール(あるいはカザール)汗国ともいう。一般に中央アジアの中世の“汗国”はイスラム国家が多いが、このハザールは可汗の統治する;敢えてユダヤ教を国教とした特殊な国である。
ハザリアはそのギリシャ語呼称である。
ユダヤ人ということと、ユダヤ教徒というのは異なる。
一般にユダヤ人とは、母親がユダヤ人でかつユダヤ教徒である者をいう。
父親がユダヤ人でも母親がユダヤ人でなければ、その子供はユダヤ教徒にならない限り必ずしもユダヤ人ではないとされる。(尤もナチスなどはそんなユダヤの内規は無視した。)
だが、ユダヤ人の男性はユダヤ教徒でない女性とは結婚できない律法があるので、非ユダヤ人女性はユダヤ教に改宗することで、そのユダヤ人男性と正式に婚姻を結ぶことが可能になる。
直近の実例としては、アメリカのトランプ大統領の長女イヴァンカ女史のケース;彼女の夫は(現在も大統領の特使としてガザ紛争の調停に関わっている;国籍はアメリカであるが)ユダヤ人のジャレット・クシュナー氏である。イヴァンカはトランプ大統領の最初の妻との娘であるが、最初の妻であったイヴァナ・マリエ・ゼルニーチコヴァーは、元はチェコ人である。共産時代のチェコ人が父母だったからイヴァナ氏の元来の宗教は不明である。(父母は元は恐らくカソリック?)
イヴァンカの父トランプはキリスト教福音派であり、元妻のイヴァナもアメリカでの婚姻時は同じ教会に通っていたので、ユダヤ人ではない。
だからイヴァンカはクシュナー氏と結婚するためにユダヤ教に改宗したが、無論ユダヤ人ではない。(彼女の3人の子供たちがユダヤ教徒であるかは不明である。)
だからハザールがユダヤ教を国教にしたからと言って、ハザール人はユダヤ人ではない。逆に言えば、ユダヤ人だからハザールがユダヤ教になったのではない。ハザールの建国時には、黒海を挟んで強大なビザンチン帝国(=東ローマ帝国)があって、そこは後にいう東方正教会の本元だった。一方、ハザールの東南には破竹の勢いで拡大したイスラム教アラブが存在した。そこでハザールの王(可汗)は両宗教権威から独立的な存在を主張する為に、両宗教のルーツと目されていたユダヤ教を敢えて国教に採用したのである。
ハザールは西に勃興したキエフ大公国との戦いに敗れて滅亡した。
そして、ハザール人はキエフ〜ロシア各地及び東欧の各国へ離散した。このハザール人の後裔がいわゆる東欧系ユダヤ人達:アシュケナーディムなのだ。
ハザールには国教がユダヤ教だというので、西欧系のユダヤ人達:セファルディムが憧れて移住を希望してくる者もいたことが歴史的な文献で知られている(とされる;その様な伝承も創作だという批判もある。)
しかし西欧からの移住者の数はそんなに多くは無かった。
一方ハザール世界には、黒海を越えて来住したビザンチン帝国の版図からのユダヤ人もいたであろう。しかしこれら西&南からの純ユダヤ人は、ハザールの1割にも達していなかっただろう、と指摘する研究者もいる。東南側のササーン朝ペルシャがイスラムに征服された後は、ハザールもカフカス地方の領有を巡ってイスラム勢力と争った。イスラム側がアッバース朝によって統合されると、その強力な武力の前に、しばしばハザールは戦闘に敗れ、一時的にはイスラムへの改宗を誓約して、アラブ人の進駐をやめさせるが、すぐに支配層はユダヤ教からの離脱を撤回してしまう。ところが庶民層にはイスラム教が浸透していき、10世紀頭には、ハザール庶民の過半がムスリムとなっていたらしい。
ではハザール人の大多数は何人種かといえば、これは明白にチュルク系民族である。古代末期に東亜漠北から西トルキスタンに拡疆した突厥の東西分裂後の西突厥可薩部が、西突厥がイスラム教アラブの北征で衰微したので独立し西進して建てた国がその可薩;カザールなのだ。この頃、ウラル山脈方面から南下していたブルガル族(の一部)もハザールの従属下にあったらしい。ブルガル族もまたチュルク系であり、これが後世黒海西岸に建てたのがブルガリアに他ならない。
◯ハザールの民族出自はイスラエルの死活問題
さて、ではここでこのハザールが何故イスラエルにとって死活問題になるのか?
これはちょうど21世紀の初め頃から、パレスチナ人が「今のイスラエルは、第二次大戦後に建国されたのだが、その国民の大部分はロシア〜東欧にいたアシュケナーディムだから、彼らはハザールの後裔であり、チュルク人であってユダヤ人ではない。従って旧約聖書に従えば、イスラエルの地はユダヤ人に約束された聖地だとしても、ユダヤ人でないアシュケナーディムにそこに居住すべき歴史的根拠はないのだ」と主張し始めたからなのである。
勿論、第二次世界大戦後に、イギリスの主導で国連の承認を得て、ユダヤ人の原郷として、ヨーロッパの中で邪魔者視されていたユダヤ人を収容する為にでっちあげられた人工国家がイスラエルなのである。この計画には、ユダヤ排斥といういう点からはナチスドイツのホロコーストにも通ずる歴史的経験(※ポグロム)を有したソビエト・ロシアが賛成して国連でまとまったものだ。結果として、一部の西欧系ユダヤ人であるセファルディムも移住したのだが、西欧のユダヤ人には産業界や金融界で名をなしていた人やその従業員なども多く、結果的にイスラエルに移住した大部分はアシュケナーディムだったのだ。
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ポグロムについては、GoogleAIの解説が参考になる。
※ポグロム(ロシア語で「破壊、破滅」を意味する言葉)は、主に帝政ロシア時代に発生したユダヤ人に対する集団的迫害行為(殺戮、略奪、破壊)を指します。これらの事件は、長期にわたる反ユダヤ主義の歴史的背景に加え、経済的困窮、政治的な扇動や黙認など、複数の要因が絡み合って発生しました。
主な発生要因は以下の通りです。
1. 根深い反ユダヤ主義
ヨーロッパでは、キリスト教社会においてユダヤ教徒は宗教や文化が異なる少数派として、長年差別や偏見の対象となってきました。この根深い反ユダヤ的な憎しみが、ポグロム発生の温床となっていました。
2. 経済的・社会的緊張
ポグロムの動機として、襲撃側の「経済的困難」や「生活水準を向上したいという願望」が挙げられることもあります。当時のユダヤ人は、帝政ロシア政府によって特定の地域(定住地域)に居住を制限されており、その地域内での人口過密や貧困問題が存在しました。また、都市部で不動産所有者や商人として成功しているユダヤ人がいたことも、一般市民の嫉妬や不満の対象となりました。
3. 政治的・国家的な扇動と黙認
ポグロムは、単なる偶発的な暴動ではなく、多くの場合、計画的・組織的に行われました。
政府による責任転嫁: 1881年に皇帝アレクサンドル2世が暗殺された際、政府や右翼勢力はこれをユダヤ人の犯行と決めつけ、国民の怒りをユダヤ人に向けることで体制への批判をかわそうとしました。(根拠ないデッチアゲであった。)
当局の消極的な対応: 騒乱が発生しても、地元当局や警察がユダヤ人の保護に消極的であったり、黙認したりすることが少なくありませんでした。
4. 誤情報と流言飛語
特に戦時中や社会不安が高まっている時期には、「ユダヤ人が敵国に協力している」といったデマや噂が流れ、緊張が一気に高まり、ポグロムへと発展することがありました。
これらの要因が複合的に作用し、ユダヤ人に対する大規模な迫害が繰り返されました。映画『屋根の上のバイオリン弾き』でも、ポグロムによってユダヤ人村落の住民が故郷を追われる悲惨な歴史的背景が描かれています。
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このようなロシアに於けるユダヤ迫害は、共産主義ソ連時代になっても行使された。欧米日の反ソ連包囲干渉戦争の時には、西側ユダヤ人のスパイ視されたり、はてはナチの手先だとかいう実にナンセンスな口実づけで、ユダヤ人迫害が行われた。これも生活改善しないソ連施政下の労働者農民の不満の吐口を作る為に利用されたのである。だがこれは、古くはインドのカーストに於いて農民がシュードラとなった後、その下にチャンダーラという最下層賎民の身分が設けられたことや、本邦の江戸時代の賎民非人階層を作って農民に“まだしも良し”という幻想を抱かせたり、明治末以降に於いて都市貧民の不満の対象を朝鮮人に向かせたりした藩閥政府官憲の発想と全く異曲同工の統治手法なのである。
ガザ戦争を煽った首相ネタニヤフもアシュケナーディである。で何代もユダヤ教徒であったからというのでアシュケナーディムはユダヤ人を自認しているが、土地を巡って対立しているパレスチナ人からすれば、彼らアシュケナーディムはチュルク人でありユダヤ人ではないのだから、ユダヤ人の原郷であるイスラエルへの居住権を主張はできないのだ!ということになるのだ。
これがイスラエルにとって国家的な死活問題になる理由だ。
そこで、イスラエルの情宣機関は“ハザールはチュルク人種ではなく、元来はユダヤ人である”という為の偽系図を作ったのである。
おまけに、元はハザールの従属民だったブルガル族も同じ系図に載せて、かれらもユダヤ人の末裔だと主張しようとした。そうしないと、ブルガル人がチュルクだとすれば、それと同族であるというハザールもまたチュルクだということになってしまいかねないからだ。
これには、今はブルガリア正教会を主要な宗教とするブルガリアからも大きな反発がでているのだが、国際社会では、ブルガリアよりもイスラエルの方が圧倒的に声高なのである。
もしパレスチナ人のいう様に、イスラエルがアシュケナーディムの居住すべき土地ではないのなら、ガザ占領も、ヨルダン川を越えたイスラエル人の植民も、根拠薄弱な不法占拠だということになってしまうのだ。
だから、イスラエルはあくまでもハザールはユダヤ人国家だと強弁し続けるだろう。
こんな詐弁に日本人が与してはならない。
2000年代になると、俄かにハザールを扱った書物が世界的に増加してくる。日本に於いてもである。その多くが、イスラエルの情宣機関もしくは、その裏支援を受けている欧米の親ユダヤ機関・出版推進NGOの資金援助を受けた研究論述が多いのである。
この中には、チュルク系が明白なハザールの支配層の出自という歴史的な事実を容認する代わりに、神官層?と庶民の多数がユダヤ人だったのだとする様な妥協的なものもある。
このようなキャンペーン的な“研究成果”なる物には、何とかアシュケナーディムをユダヤ人だとしたい意図が透けて見える。
更に、ユダヤ教に改宗したハザールの王の名はブラン可汗だったのだが、ハザール=ユダヤ人説の書物では、この可汗のユダヤ名はヨゼフだとされたりする。ヨゼフとは周知の如く、イエス・キリストの地上での父親の名である。
ハザールユダヤの創世記だというわけである。
ところで一つ付言しておきたいのは、私個人はシオニズムには同情するものだ。
シオニズムとは「ユダヤ人の精神的な原郷であるパレスチナのシオンの丘に、東欧で差別されているアシュケナーディムの民族国家を建国するしか迫害から逃れる術がない」という考え方である。19世紀中欧地域の各地で散発的に提唱されていたが、これをまとめあげたのはブタペスト生まれのテオドール・ヘルツル(両親はクロアチアのユダヤ人)であった。
シオニズムには、何と同時代のプロシァの宰相ビスマルクの統一ドイツ論が影響したとされる。ドイツが複数の領邦国家に分かれていては、他民族に優越できないので、ドイツ人であるというアイデンティティを持って統一国家を設立するしか民族の興隆はあり得ないとして、ドイツ帝国を実現した。
この“民族アイデンティティを統一国家樹立によって実現する”という思想のユダヤ人版がシオニズムに他ならない。
確かに成立過程が強引ではあったが、イスラエル建国によってしか、ユダヤ人の人権は確立できなかったであろう。
この建国が、パレスチナ現住民と協調できていれば問題は生じなかったかもしれない。モスリムとユダヤはこの時点までは、決して不倶戴天・共存不能ではなかった。
しかし知られている様に、建国後のイスラエル政府がムスリム排除・土地の独占を方針とした為に、両者は共存できなくなってしまった。しかもその後中東戦争を経過して両者は不倶戴天になってしまったのだ。
ガザ問題の背後には、ウクライナ侵略を企図したロシア・プーチン政権が、ウクライナへの支援を断ち切る為に第二戦線として、パレスチナVSイスラエルの紛争の勃発を裏工作したものだ。ロシアは工作資金を、核開発で西側諸国と対立し親ロシアとなっていたイランを通じて、ヨルダンのシーア派軍閥であるヒズボラに提供した。ヒズボラは、この資金をガザを実効支配していたハマスや、ハマスと同系のムスリム同胞団(反シオニズムを標榜)系のシリアやそれに同調するイエメンのフーシ派などのスンニ派イスラム原理主義軍事組織に分ち、イスラエル包囲網を作ろうとしたのだ。
「金さえ貰えば何でもやる」などというのは、中国マフィアの手口でさえない。どうして、シーア派のイランやヒズボラとスンニ派のパレスチナ人が協調できるのか?“敵の敵同士は味方”というのか、モスリムではない私には理解し難い。
しかし資金の出元がロシアなら、貰った側からすれば、ある意味「しめた!」と考える思考ルートは通じる気がする。
ロシアが資金援助して、イスラエルとパレスチナの戦争を勃発させたのは、世界のユダヤ人社会からのウクライナへの資金援助を弱化させる為だ。ウクライナの大統領ゼレンスキーはアシュケナーディであり、ウクライナには彼を当選させるだけのユダヤ教徒の勢力がある。プーチンはイスラエルに於いて対ユダヤ第二戦線を開いて、世界のユダヤ人の資金援助を分散させる作戦に出たのである。
ここで興味深いのは、トルコ共和国の動向である。露宇(ロシア・ウクライナ)戦争でも、中立者というよりウクライナ寄りの姿勢をとっている。またイスラエルの対ガザ戦闘でも(トルコはハマスと同じスンニ派ムスリムでありながら)どちらかといえばイスラエル寄りである。これはエルドアンかその側近あたりかに、アシュケナーディムは元々チュルク人のハザール汗国に出自することが分かっているからではないかと私は推理する。
実際、今のトルコ共和国の元はオスマントルコ帝国だが、更にその前身はセルジューク朝トルコである。この王朝は、11世紀に中央アジアに興った。チュルク系族長セルジュークの孫トゥグリル=ベクが1038年に建国したのだが、このセルジューク族の族長のベクという呼称は、ハザールの可汗に次ぐ実質的な政治権力を行使した王侯の称号である。だから、今のトルコ共和国もルーツはハザール即ち突厥可薩部族にあるのかもしれないのである。(一時、ハザールがイスラム化したことがあったので、その際にユダヤ教から改宗したベクであったのか?)
時に、世界の世論は、イスラエルが幾らハマスが突然襲撃して来て多数の国民を死傷させ、更に百人を超す人質をとったという残虐行為に出たとしても、その反撃としてガザの徹底破壊を含む何万人ものガザ地区居住民を殺戮するのは、過剰防衛に過ぎる、と非難している。
また殊に、イスラエル軍が、病院や学校を襲い、また時に救急車まで爆撃するというのは残虐行為だと非難する。
しかしイスラエルが何故そういう一見世界の非難を受けそうな行為をしているのかには人々は無知である。
実はガザのハマスとは、病院や診療関係者そして学校関係者と教師の組織が元になっているのである。
こんなことは、Wikipediaにさえ出ている。
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ガザ出身で;ムスリム同胞団パレスチナ支部メンバーでもあった宗教活動家アフマド・ヤースィーンは、ハマースに先立って1973年にムスリム同胞団系の社会奉仕組織アル=ムジャンマア・アル=イスラーミー(al-Mujammaʿ al-Islāmī, 「イスラミック・センター」の意、英訳:Islamic Center)を設立。社会・医療・文化・教育・スポーツなどに関わる幅広い活動を行い、病院・大学・教育機関・図書館そして関係者の説法の場ともなったモスクの建設、教育事業によるイスラーム主義的価値観の普及などを通じその影響力を強めており、ガザにあるモスクの多くを影響下に置くに至っていた。
この組織の事業は現在のハマースの社会奉仕事業部門の元となっており、ムスリム同胞団の活動を普及する場として機能するものでもあったが、パレスチナ解放機構(PLO)に対抗する組織として期待されたことから(かつては)イスラエル側の認可を得て活動していた。
先行して作られた大学や管理下にあるモスクでは伝統的イスラームとは異なるパレスチナ問題とジハード思想とを結びつけた抵抗運動の思想が教えられることでイスラーム抵抗運動に参加する若手が増えていき、ハマースはこうした下地の上に作られた形となった。(以上Wikipedia)
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そして、その後、医療関係と教育関係という比較的インテリの多かった分野を基盤としたハマスは、急速にイスラム原理主義に傾斜していったのである。だから、イスラエルがいう様に、病院や学校はハマスの巣窟であり隠れ家であって、その地下室は戦闘要員の兵舎になっているのである。
従って、イスラエルからすれば、病院や学校は徹底的に破壊しなければならない事になる。
この行為の良否は簡単には判定できないのである。
しばしばガザの被害者数を発表するのに「ガザの保健当局によれば」という言い回しが使われる。もはやガザは表だった統治機関(公的行政組織)が存在しないかに見えるのに、この「保健当局」とは何か? 実はこれがハマスそのものであり、唯一公然と残っているハマスの組織なのだ。
◯大月氏の末裔は?
中央アジアに一時隆盛を誇ったクシャン朝は、大月氏国の5分国の一つ貴霜翕侯国の後裔であり、我が国の出雲族・物部氏や新羅の王族と同様に、月氏黄牛族である。
従って、天孫族考執筆中の私は、中央アジアで月氏関係の遺跡や遺物が発見されたニュースには常に関心を寄せて来た。
ここで私が、ハザールの正体に拘るのは、大月氏国の後裔クシャン朝を滅ぼしたのは、ササーン朝ペルシャとそれにタイアップした突厥とであったからだ。そこで、北のバクトリアから南のガンダーラまでのクシャン朝の版図は、南部凡そ2/3をペルシャ領とし、北部は西突厥領としたのだが、そこに突如ソグディアナから興ったエフタルが、ほぼクシャン朝の旧領大部分を征服してしまう。多くの学説はこのエフタルはソグド人など中央アジアの民族だとするが、中には月氏の残党の建てた国だとする人もいた。エフタルの軍事的機動力は強大で、ササン朝との対決でも皇帝を戦死させるほどのものだった。だがエフタルもまたアルタイ山脈南西に居たチュルク系民族であって、月氏の後裔ではない。
エフタルは非月氏であり、小月氏の後裔である日本民族とは血縁関係には無い。
エフタルは南西のササン朝と北東の西突厥の挟撃にあって疲弊し滅びる。その後そこ;ガンダーラからソグディアナ;には南からムスリムアラブの遠征軍が侵入して席捲される。アラブ人とソグディアナの支配権を争って大唐帝国が衝突したのがタラス河畔の戦いで、唐が敗れた為中央アジアの覇権はムスリムのものとなったのである。突厥可薩族が西に逃れてカスピ海の西にハザール可汗国を建てたのは、こういう国際情勢の中であった。
◯ハマスのイスラエル襲撃事件と日本
余談になるが、先述のイラン経由の資金援助でイスラエルに第二戦線を作るという作戦は、ロシアの傭兵集団ワグネルの指導者プリゴジンの発案だったという。それが真相かどうかは未確認だが、結局それをプーチンが承認して、結果ハマスのイスラエル襲撃事件が勃発した。それでどうなったかといえば、世界のユダヤ人社会の関心は専らガザ紛争に向き、ウクライナは等閑視された。つまりロシア側の戦略は成功したと言える。もっとも、付随して長年親ロシアだったシリアのアサド政権が失脚してしまい、ロシアは中東への重要な橋頭堡を失ってしまったという副作用を伴った。
この戦略の発案の功で、ワグネルが一時ウクライナ作戦の重要な戦場を任せられることになった。従来ワグネルはアフリカとかシリアとかで、ロシア正規軍が活動しにくい場所での工作に従事して来たのだが、ウクライナ戦争で、初めてロシアの正規の作戦に参画する事になった。これはロシア正規軍側(国防省と参謀本部)にとっては甚だ面白くない事であった。この為、国防省はワグネル参画戦線への補給を滞らせて、ワグネルの足を引っ張る行為に出た。著しいサボタージュ行為に怒ったプリゴジンが、国防相と参謀総長とを弾劾するに及んで、プーチンの膝下で内紛が生じる。結果これが導火線になりいわゆる「プリゴジンの乱」が勃発したのである。そしてそれは周知の如く参謀本部秘密情報本部GRUによるプリゴジン搭乗機撃墜に繋がったのである。
そしてこの為、ワグネル残党はバラされて正規軍に加えられたと言われている。しかし、これではワグネルの精鋭や将校の忠誠や精勤は得られない。そしてロシア国防軍(その大部分が、招集された非職業軍人と少数民族及び極東軍管区の兵)+それに北朝鮮兵では、ウクライナ戦線の停滞はやむを得ない。ロシアは当初ウクライナなどは、10日で降伏して併合に応じる甘く考えていた。あにはからんや3年以上もの戦役となった。このウクライナ国民の奮闘には、我が国も是非とも支援を続けなければならない。
というのも、ウクライナ戦争の前に、ロシアでの戦略会議に於いて、ウクライナよりも前に、日本の北海道への侵攻を提案した者がいたというからである。ちょうどプーチンと親密な安倍晋三が体調不良で総理大臣職を辞した後だった。
安倍晋三の努力虚しく、プーチン政権は北方領土の日本返還はほぼ日本側政権中枢に断念させたと考えていた。ところがポスト安倍政権になって、日本側は改めて北方領土に固執する態度になって来た。これに反発して、プーチン政権内部に、北方領土どころか、北海道の北半を割譲させようという意見が出て来た様である。これは第二次大戦末期にスターリンが対日参戦の条件にルーズベルトに黙認させた密約だった。しかしルーズベルトが死亡して副大統領のトゥルーマンが昇格すると、新大統領は原爆の実用化の成功を前に、ルーズベルトの密約は個人的なものとして無視してしまう。チャーチルの助言もあり、第二次世界大戦後は、自由主義陣営対共産主義の戦いの時代に移行すると考えたからである。8月の原爆2発の威力を見せつけられていたので、スターリンもこの密約の履行を迫ることは断念したのだ。
それが、この時(2020年頃)、ルーズベルト密約にあった留萌〜釧路ラインの北側の北海道の割譲を、先の大戦の戦果の再確認として持ち出そうというのである。
真偽はわからないが、このプランはロシア安全保障会議副議長の職にあったメドベージェフからだったとの噂がある。彼は大統領時代から「北方領土の返還などもってのほか」という考え方であった。だからロシア首脳でありながら率先して国後島などへの督励訪問を繰り返して来たのである。(メドベージェフ夫妻は、純粋なペテルスブルク生まれなので、彼が反日になったワケは不明である。ペテルスブルクはバルチック艦隊の母港だから、メ夫妻の親族に日露戦争の犠牲者でもいたのであろうか?)
この提案がマジなものだったのか、それとも代わりにアメリカにウクライナ侵攻を黙認させるための戦略だったかは判らない。この日本侵攻案に公然と反対したのが、プリゴジンだったという。そんな突飛な事を言い出せば、ロシアは世界から狂気としか思われないだろう。ここはプーチンの意図を受けて、まともに⁉︎ウクライナ侵攻に着手すべきだというのである。その際に飛び出したのが、イスラエルに第二戦線を作って、国際ユダヤ社会からのウクライナ支援を遮断しようという作戦だったというわけである。
長々と述べて来たが、ウクライナの敢闘は、ロシアに他国侵略の愚を思い知らせるという点で、日本にも有益だという事なのだ。せいぜい支援し、ウクライナには負けてほしくないと心から思うものである。またプーチン及びその後継者には日本侵略を今後断念させなければならない。幸いに極東軍管区の兵力はウクライナ戦で7割も消耗して、当分は戦闘能力を維持できないようだ。危ないのは、台湾有事云々で、日本の防衛当局が南西問題にかまけていることだ。中国の台湾侵攻時に、ロシアが北海道割譲の強行に及ばないとも限らないからだ。その時プーチンの盟友金正恩が新潟あたりにミサイルを撃ち込んで陽動作戦に加わることも危惧される。◯◯に刃物、北朝鮮に核ミサイルだから。
☆留萌釧路ライン以北の占領計画の阻止
先述のロシアによる北海道北半:留萌釧路ライン以北の占領計画の事である。第二次大戦終結時に、日本がポツダム宣言受諾して玉音放送も終わった後に、いわゆるドサクサ紛れでスターリンの命令でソ連軍が、満州や樺太・千島列島へ殺到しそのまま北海道にまで進駐しようとした。これを阻止した人についてはその後、あまり話題にされていない。
阻止したのは陸軍の第5方面軍司令官として札幌に在任していた樋口季一郎中将である。
日米終戦の8月15日を3日も過ぎて後、最終的に留萌釧路ラインまでの北海道占領を命じられたソ連軍が、手始めに千島列島の占守島へ押し寄せたのだ。
この時既に陸軍中央の指揮系統は崩壊しかかっていた。東京では、玉音放送の阻止に失敗した超国粋主義的な軍人たちが本土決戦を叫んで反乱を起こそうとしていたのである。
しかし、北海道と北方領土を管轄する第5方面軍は未だ兵力を温存していた。樋口司令官は、スターリンの意図に気づいていたのだろうか?一報を受けて占守島の守備を命じただけでなく、隣接する幌筵島守備隊なども動員し、一万数千人の将兵で撃退する作戦を実行した。攻め寄せたソ連軍は余りの抵抗に兵力を消耗させ、戦闘は長期化した。この日本軍の強さに対する認識が、トゥルーマンによる北海道分割の拒否の表明もあり、結局はスターリンの野望を食い止めたのである。この樋口中将の決断は、無条件降伏後の停戦違反行為でもあった為か、その後は大きく取り上げてこられなかった。
ところで、この樋口将軍こそ、有名になった杉原千畝と並んで、もう一人の日本のシンドラーと呼ばれて国際ユダヤ人社会から感謝の念を寄せられていた人物その人なのである。
1938年、樋口当時少将は、関東軍のハルビン特務機関長として満州国にいたのだが、ドイツでのヒトラーによるユダヤ人狩りから逃れてきた多数のユダヤ人を満州国内に受け入れたのであった。そしてこの樋口氏が、中将に昇進して、終戦時に札幌の第5方面軍司令官に在任していたのだ。
ユダヤ人救済の功もあってか、樋口将軍が戦犯に問われることは無かった。戦後GHQによる公職追放令の適用を受けただけで済んだ。
樋口中将のソ連による北海道占拠を阻んだ功績を称える碑が中将の出身地大阪の神社に建てられているそうだ。無論、ユダヤ人救済の事には触れられていないだろう。
しかし、もし今後ロシアによる北海道占拠の企てなどが再燃した時は、樋口中将の功績から、国際ユダヤ人社会からの支援を期待してもよいかもしれない。
「北方領土は日本固有の領土」とか云う。しかしこの“固有の領土”などという概念は、島国の日本人だけが唱えている;世界に通用しないものなのだ。
現在、バルト海に面したロシアの飛地になっているカリーニングラード州という領域がある。
ウクライナ侵攻後、ヨーロッパ側を牽制するためにロシアはここに核ミサイル基地を置いている。
このカリーニングラードというのは無論ロシア名だが、第二次大戦前まではケーニヒスベルクというドイツ名の都市とその周辺域だった。実はこここそ旧ドイツ帝国の故地の一つであるプロシァの地の一部に他ならない。だから、今の統一ドイツが、プロシァはドイツ固有の領土だから返還してくれとロシアに言ったりしたら、収拾がつかない。ナポリやシチリアが近世までカタローニャの主要な領地だったからスペイン領と認めてくれなどという馬鹿はいない。
北方領土が日本固有の領土だと駄目元で云うのはよいが、それは世界に通用しないものだと承知しておく必要がある。