第2章 月氏とは

第2章 月氏とは

では中国の史書に載る月氏国とはどんなものか?

月氏国は、都市国家群と南の高原地帯の村落とが緩く

結びついた領域連邦とでも言えるものだったらしい。

領域はタリム盆地の南北端のオアシス都市とその周辺、

今の新疆地方の和田(ホータン)より更に南の崑崙山脈

南側の高原地帯で西はパミール高原までである。盆地

の北側には天山山脈があり、シルクロードは天山山脈

の南麓を通る天山南路、北側に迂回する天山北路、

そして和田を通るタリム盆地の南端の路(西域南道)が

主要な三つのルートであった。月氏国はこの三本の

シルクロードをカバーしていたのであり、古来から

東西両様の文明の恩恵を得ていたと思われる。かの

有名な敦煌などもこの月氏国の版図である。だが、

この古代の月氏国がいかなる統治形態で連邦国家を

成していたかの詳しい記述は中国の史書にも乏しい。

果たして、これらの連邦領域の全体を統べる大王が

居たのか?また、このタリム盆地の南北〜崑崙南部

に広がる広大な領域に散在していたのは、果たして

同一の(血統の)民族だったのか?

後者については、遺物などからはほぼ同様の文化

習俗を持つイラン系の民族だったと推定されている。

(イラン系といってもペルシャ系と同義では無い!今の

タジキスタン等のタジーク人は、一応ペルシャ系と

されるのだが、イラン系というのはほかの表現が無い

ので、そのようにいうだけで、後のイランを構成する

多民族の内の一つと同系、という意味であるらしい。)

但し月氏の言語はペルシャ系とは違い、より北方の

ウラル・アルタイ語に属すると推定されている。

盆地北方の部族は、匈奴同様に蒙古系の血も相当に

入っていた様で、匈奴と月氏は近い民族だとの認識も

あった様だ。

敦煌などの都市遺跡からは、この地方に早くから初期

仏教が伝播して居たと推定されるが、必ずしも月氏の

領域の都市がどれ程仏教を受容していたか?は不確か

である。仏教は印度からカラコルムを越えタリム盆地

の南に広がる高原地帯からか、又チベット高原経由で

伝播したのであろう。従って、天山山脈に近い都市や

村落にまで仏教が伝わっていたかどうかは不明である。

またそも月氏の移動前に既に仏教が受容されていたか

もはっきりとはしない。

だが、この月氏国には共通の宗教があったと推測され

ている。それは、天山山脈の主峰の「ハン・テングリ

(天の王=天王)」という万年雪を冠る聖山への信仰で

ある。天王とは中国の(道教でいう)"天王皇帝"つまり

天帝と同一で、北極星の神聖化されたもので、天王山

は天を支える心柱であり、また天王の降臨する依代で

あって、天山山脈の各峰は天帝の妃(天妃)や王子や

従臣に比定されるのである。

仏教が伝播した地域でも、一種の神仏混淆的な形態で

天王信仰は残った。だから月氏国とは天王崇拝を共通

とする事でアイデンテティを共有し、同系と相互認識

した民族だったと言えるのである。

だから月氏族とは言わば天王族でもある。

(因みにこの月氏とは、日月の月とは何の関係もなく、

また月の氏族という意味では無い。月氏また月支とも

書き、ロキ、ロシという発音だといい、中国語のルー

(肉)シに相当するというのが従来の中心的な説である。

そしてそれを「月」という漢字で表すのだが、この月

は所謂(部首で言う処の)ニクヅキであり、肉の字形が

簡略化されたもので、脈とか腸とか肢という漢字を

構成する要素である。腐という文字は構えに肉を

使っているが、漢和辞典の部首上は月と同じニクヅキ

に配置されている。実は甲骨文字の時代には、偶々

肉の簡略形と、半月の象形である月が殆ど同形になり

両方が通用していたのだ。私も漢の木簡に「賜月丗斤」

と書かれている写真を見た事がある。空の月を丗斤

切り取って下賜する事はあり得ずこの月は肉の事である

のは、明らかである。因みにニクというのは呉音で、

仏教伝来後に日本には伝わった。日本では肉もそれを

供給する獣類もともに上古にはシシ(宍)と言っていた。

月氏の意味合いは肉食の民ということで、遊牧民族の

事らしい。今のタジキスタンは"大食肉旗支"タンで、

だからかつての大月氏国の末裔だとも言われる。)

ところが、中国の戦国時代に北狄である匈奴が強大化

し、南下して中国北辺を侵すだけでなく、西域に伸長

し月氏国は匈奴の侵略によって滅びてしまうのだった。

(秦が最初に万里の長城を築いたのは匈奴を防ぐ為で

あったのは周知である。)

そして、月氏族の大多数は天山山脈の北側、今で言う

キルギスタン東部に逃れ、やがてイシククル湖の南岸

に、建国されたのが大月氏国である。

一方、タリム盆地南辺・崑崙山脈南北麓に居た月氏族

の一部は、逆に東南方向に逃げ青海湖の南側を巡って

甘粛省方面に移住した。この方面には、中国で西戎と

呼んだ羌族が先住しており、月氏族はこの羌族に帰順

してその部族の一部の様になった。この事実は中国で

はよく知られており、羌族の部族となった月氏族を

小月氏と呼んだ。無論大月氏に対照した命名である。

大月氏国を構成した部族がいくつあったかは不明で

あるが、こちらはタリム盆地の北部にあった都市国家

群の貴族や民が逃れて行ったので、かなり融合が進み

もしかしたら部族の別は緩んでいたかも知れない。

もっとも後世、大月氏国の民が樹立した領域国家の

一つがガンダーラに仏教文化を繁栄させたクシャン朝

で、ここでは(インドでいう処の)クシャトリヤ=戦士

階層が中心になったらしいので、"階層制"は残存して

いたと推測される。

しかし、小月氏の方は、元来が崑崙山脈南麓高原の

遊牧村落の民なので、かえって羌族に合流してからも

部族の別が残存した。羌族の内部で月氏族は大きくは

三部族あったと中国の史書には伝わっている。

その羌族化した月氏族の部族名は、葱茈羌・白馬羌・

黄牛羌という。この内最も地位の高かったのは葱茈族

だとされている。白馬族と黄牛族は、単に馬や牛を

飼っているというのではなく白馬と黄牛をトーテムに

していたという事なのである。

祭祀の供犠にはそれぞれ白馬と黄牛が用いられたの

かも知れない。(牛の供犠は確認されているが馬は不明)

それでは葱茈族とは何か?

葱はネギ、茈は紫草の事である。

葱嶺とは中国語でパミール高原を指す言葉であるが、

これはパミール高原には葱とか韮がたくさん自生して

いたので、葱の生える高原という意味で葱嶺と呼ばれ

たのである。肉食民である月氏族にとって葱は肉の

付け合わせまた匂い消しとしての効能がある。(葱茈

族のトーテム動物は何か伝わらないが、恐らく通常の

遊牧民に共通の羊などであったのだろうか?最新の

見解では、鹿ではないかと考えられるようになった。)

牛とか馬とかだけでなく、小月氏族はそれぞれ鳥類の

トーテムも持っていた。葱茈族は烏、白馬族は白鷹、

黄牛族は鳶(か鷲か鶏?)と推理されている。

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