第7章 辰国について
第7章 辰国について
「辰国」とは、古代において朝鮮半島かその北西にあったと
いう伝説上の国の名である。
中国の史書類に於いても、その名が出て来るのは、古代朝鮮の
三韓時代について、辰韓がその辰国の遺民の建てた国だという
伝承の紹介としてであって、直接にそれが何処にあり如何なる
国なのかとか、国情や風俗などの記事はほとんど出て来ない。
(また一説では、辰の民が元になった国は三韓全部;辰韓だけ
でなく、馬韓や弁韓も含めて、であるともされる。)
何れにせよそれは幻の国の名であるといわれてきた。
また後世辰韓が、自分達は中国の統一王朝である秦の末裔だ
と主張し、秦韓を自称したことから、辰国もまた秦の遺民の
建てた国ではないか?という論者も出ている。
更に、偽書と言われる「契丹古伝」では、中華民族の源の一つ
になった河北起源の“東族”の中に「◯◯辰沄」と呼称する氏族
群があり、古代王朝の殷も“殷辰沄”という部族が建てた国で
あるとする。それらの後裔で遼の地域に興った「安冕辰沄」
(アミシウ)が、所謂「辰国」なのだとしてこれを支持する人も
ある。安冕辰沄が弁韓を経て北九州へ渡来したとの説だ。
また異説として、中原から見て辰(東)の方角にあるから辰だと
いう意見もあるようだ。
しかしそれらの言説のいずれもが、「辰」のいわれについて
深く解読していない。一般に辰は星辰の事だから、この場合
特に、北辰(北極星=天界の太極・天帝)信仰を持つ国の名で
あろうとする人が多い様だ。
更に、かなり特別な解釈として、“辰”は“振る”の手偏(才)が
取れた字だが、これは太陽信仰で、鈴などの祭器を振るって
冬至の太陽を励起する事から、フルとは“ル(日神)を奮う”事
=奮日の意味だとして、辰は日振り国=日辰国だという言説も
ある。
(我が国の石上神社の祭祀地・布留も奮日だと考えられると
する。そういえば、祭神の布留御魂は饒速日の化体だが、
この速日もフルの意味合いなのかも知れないと連想されて
来る。天日がテンルでテル=照となる事と照応するという
人もある。)
しかし私の様に辰国が(“東族”の建てた国ではなく)亡命月氏に
由来する国だとする者からすれば、月氏の三族のそれぞれ信奉
する三辰を統合する国号だと考えられるのである。
辰とは単に星辰として、星球をのみ指す言葉ではない。
日辰、月辰、北辰の三つの辰の総合が辰なのである。即ち辰
とは、天体の呼称なのである。
日辰崇拝(太陽神の祭祀)は、月氏のマギバラモンである龢族の
ものである。
月辰崇拝(月読神の祭祀)は、バイシャである白馬族のものだ。
バイシャは農業にも、また商工業の取引時期の確定の為にも
細かい暦法を必要とした。(辰沄の原義もヒメグリである。
ヒメグリとは日めくりでもあり暦に他ならないのではあるが。)
北辰崇拝(北極星=天王の祭祀)は、クシャトリヤである黄牛族
のものである。これは天山山脈の主峰である”ハンテングリ“
(汗天界=天王)の祭祀に由来する。黄牛族の王が牛王で、後に
仏教と習合して牛頭天王となる。
これらに共通する天体の崇拝を集約する概念が「辰」なので
ある。
辰があった古代に於いては、未だ仏教が極東にまでは到達して
いなかったが、後世、三韓と和国の時代には仏教が東伝した。
日辰崇拝もやがて大日如来の信仰になる。
月辰崇拝はやがて弥勒信仰に習合する。
そして北辰崇拝が上述の様に牛頭天王に変化するのだが、また
妙見信仰にも習合するのである。天神の観念もまたここから
派生して行く。
辰に於いても、三族だけでなく、彼らに従属する部民スードラ
(従丁、仕丁)や奴婢(チャンダラ、賎丁)も存在し、それが
辰族の南遷(三韓〜加羅そして倭地への南下)にも従って渡来
したに違いない。
先住民である縄文人や初期弥生人(海人族が加わった)には、
細かい階級は(考古学的に)無かったとされるが、大陸から
階級を有した民族が渡来した事で、我が国の上古にも、階級が
持ち込まれたのである。
考古学的な遺物から辰国の位置は確定できず、遼の地に短期間
は建てられたが、燕人の衛満朝鮮の東進で、辰国は大同江以南
に南遷し、先住の貊族や海人系の濊族などと混住して三韓を
形成したと考えられる。また辰国は最初から辰韓の地にあった
とする学説もあり、その説では、衛満朝鮮の前の伝説の箕子
朝鮮が南遷して建てたのが辰国でこれが分裂して三韓になった
という論も出て来た。
私も辰国は遼東か遼河の流域の何処かにあったのではないか
と推理している。それが、最終的には、いわゆる遼の地=遼寧
に位置していたと考える。
遼寧は遼葱で、月氏の王族葱茈族がおり、そこが辰国の首邑を
意味するものでは無いか?との疑いを持っている。
そして何よりも、後世の渤海の建国譚が一つの傍証だと思う
からである。
☆靺鞨族の震国と古朝鮮の辰国について
唐の高宗の時代に、粟末靺鞨と高句麗人の混血?(そも高句麗
自体がツングース=靺鞨人だったとする見解もあるのだが)と
される大祚栄が建てた国が、初め「震」と名乗った事から
して、震は古の伝説の国の名である辰を意識したものだった
のではないか?と考えるられのだ。
無論「震」は一時的な国号であり、遼東から沿海州に国の中心
を移して、かの「渤海」となったわけだ。
(渤海の国号の意味は、渤霧といい海霧の上がる水面の意識が
あり、つまり渤海とは渤霧海であって、東南から暖流が流れて
冷たい陸風と遭って海霧が多い地域、つまり沿海地方の意味に
なる。無論東海=日本海に面する沿岸地方という事である。
我が国では海霧と言えば釧路地方だが、地勢的にも沿海州とは
陸風と沿岸流の関係で類似点がある。)
しかも、古来渤海は、我が国と親交があった事は周知である。
渤海人は、全くの靺鞨人ではあるが、彼らの意識には、日本国
となった和族がかつて遼の地を支配していた時代があった事が
暗黙裡に共有されていたのではないか?と推察するのである。
この意識が、黒水靺鞨→女真人→満州族の金や清に伝承されて
有名な日満同祖論などが生じる元になったのではなかろうか?
(渤海の国号も日本の国号が唐;厳密には武則天女帝の武周、
に容認されたのとほぼ同時期であったのも興味深い。)
渤海使が来日した時「自分達は(倭国に兄弟の交わりを認めて
貰っていた)高句麗の後裔であるから、昔日の兄弟の関係を
復活したい」と何度か言って来て、日本側は「高句麗が兄弟
と言っていたのは、当時の三韓の交際的な情勢による、今流
に言えばレトリックに過ぎない。朝貢に来たのならいざ知ら
ず、今更そんな事をいうのは無礼だ」と称徳天皇が反論して
いる。(どうも称徳は古事を知らされていない節があるが。)
また更に光仁天皇の時の渤海の国書に「渤海王もまた天孫だ」
という表現があり、これを甚だ失礼な表記だと天皇が怒った
との記事が続日本紀にある。どうやら、偽書とされた契丹古伝
の元になったような伝承が渤海側にあって、彼らは和人と
自分達は同根同祖の民族だと、本当に信じていた可能性が
あったと思われる。
そも女真人の古の国号「金」は王族家系が満州語での愛親覚羅
の愛親が即ち中国語の金であるからだ、と言われて来た。
では「清」の方は何だろうか?漢字の表現の上での意味合いの
違いはあるものの、「震」が雅字表現になったものではないか
と、私は疑うのである。(厳密には大清であるが。)
そして「辰」という漢字自体の原義だが、①十二支の辰の方、
即ち東南東を表す。②星辰、これには二つの分義があり、
一つは日月星の三つ、即ち天体の総称。もう一つは日月以外の
天体=星の事、と言う。③北辰、即ち北極星の事。引いては
太白、天帝を意味する。④日辰、つまり太陽の事。辰明は、
特に夜明けの陽光、曙光を意味する。
---------と言う事になる。
月氏が元来タリム盆地の故地にあった時には、天山=天王山
信仰は共有しており、原「辰」国が単に和族のみのクニでは
なく、牛族(黄牛族、後の辰韓〜出雲族)や、宇族(白馬族→
和田族=馬韓〜秦氏)の三族協和のクニであったのなら、
天山=天帝即ち北辰の信仰を共有していた民族なのだと考え
れば「辰」の呼称には納得できる。三族にとって抵抗の無い
命名であろう。(必ずしも日月星の三辰が由来だと固執する
迄もないかも知れない。)
また北辰信仰は仏教では妙見菩薩信仰であり、これは五胡
十六国時代の北朝や、高句麗などの東アジア古代世界で普及
した。そして北辰(太白星)は道教では天皇大帝として世界の
中心神でもある。
辰国を名乗った民族にはかかる思想があったろうと思われる。
一方で、我が皇室の元来の紋章は(平安時代に定まった菊華で
はなく)日月紋であったという。即ち日月は神話上は天帝北辰
のニ王子であり、この意味からは「辰」の国名は字義②に該当
するだろう。
従来は、①中国の中原地方から見て東南東に当たるから辰だ
という説が有力だったが、これは考え直さねばならない。
但し辰明が曙光とするなら、辰明の国だから辰だという事に
なる。
辰の方角から日昇があるので、この意味では①のニュアンスも
感じられる。
(さりながら、これらの解釈はあくまでも中華思想が前提に
なるものだ。)
月氏には、分王=シャーがあり、牛佐(ゴサ、シュサ)と宇佐
(馬佐)で、大王は龢族から出る大和佐(タイホワンシャー=
遊牧民族の大汗に相当する)である。これはペルシャ風に
言えばシャーハンシャー(シャーの上の大シャー)になる。
大倭→大和になったのだが、龢族の王者オオキミは元来
大汗・タイホワンシャー(大和佐)であり、“倭族の大連合で
あった“大倭”の単なる換骨ではなく、王の上の王即ち
オオキミ大和佐の治める国の意識もあるのかも知れない。
※契丹古伝が偽書に違いないという事はまた別稿で考察する。
契丹古伝は渤海を征服して東契丹とした契丹族(遼を建国する)
の王族の編纂した書だと言うことになっている。